文学

言葉を失わせる風景

届いたばかりの写真集のページをめくっていて、ある一枚に何の前触れもなく心を奪われた。青空の下、水辺を果てしなく埋め尽くす白い光……ワタスゲだろうか。 人の気配が感じられない雄大な自然を前にすると、何ともいえない絶対的な安堵を覚えることがある。…

つれづれなる時間とは

一日の中で「徒然草」を読み解く時間、ほんの一時間ほどのことだが、これがいつの間にか私にとって自身を省みる大切な時間となっている。 やるべき事に振り回された一日が終わりに差し掛かる頃、いつものように「徒然草」を手に取り、栞を挟んだページを開く…

童謡

街に一軒だけある日本の本屋で、以前から目をつけていた本が割引されていたのでようやく買うことにした。 この本屋は規模でいうと、日本の商店街の本屋のそれも小さ目のといった風で、品揃えは決してよくはない。本棚に並ぶ本は最近のものばかりのようだし、…

「モモちゃんとアカネちゃん」

ずいぶん幼い頃に読んだ松谷みよ子の「モモちゃんとアカネちゃん」シリーズ、もうほとんど内容は覚えていない。そのうちの一冊があるきっかけから、今になって再び私の手元へやって来た。 物語は一見のどかに進みながら、ドキッとするような現実をも含んでい…

夜、夫を迎えに行った帰り、アパートの敷地内を車で走っていると、5メートルほど前方の植え込みの中から何かが走り出た。大きさは猫くらい。 あわててブレーキをかける。暗がりの中、二人で目をみはった。白っぽい顔にとがった鼻先、毛のない長いしっぽ、「…

「秋風」

志賀直哉の「秋風」は実際の事件を題材にして書かれた戯曲である。 科学者の夫が二十歳前の娘に、家を出て老歌人のもとへ走った同じく歌人の妻への思いを語っている。老歌人が死に、妻は家へ戻りたい様子を見せているのだ。 妻が善良な人間であることはよく…

「アラスカ物語」

「アラスカ物語」を読むのは二度目だが、二十歳になる前に日本を出て以来、最後までエスキモーとしてアラスカで過ごしたフランク安田の人生に、数年前とは違った思いを抱いた。初めて親しみを覚えたのである。 海岸地域から内陸へのエスキモーの移動が成功し…

「川釣り」

井伏鱒二の「川釣り」に収められている小品や短編小説を読んでいると、湿った谷間を勢いよく下る渓流、ほどよく広がる河原に滔々と流れる川と、氏が今まさに訪れている川が私自身の知っている川の姿を借りてたちまち目の前に現れる。 しかし、何と言ってもや…

ゴッホの手紙 テオドル宛*1

まるで今さっきしたためられたかのように生々しい言葉の数々は、一人の絵描きが確かに生きていたことを否応なしに伝えてくる。 常に貧困に悩まされ、時には「絵との悪縁がときどきいやになる」とつぶやきながらも、彼はただひたすら描き続けた。 そこにいる…

文字と音

岩波文庫の「方丈記」を手に取り、いつものように黙って文字を目で追っていたが、頭の中を流れるその旋律が美しく、思わず声に出して読み始めた。 本居宣長が繰り返し述べていた(日本語にとって)「文字は仮もの」という言葉を思い出す。文字がまだなかった…

清貧

このところずっと「聊斎志異*1」を楽しみながら読んでいる。一つ一つの話しが短いので、ちょっとした時間に読めるのもいい。昨夜、寝床で読んだ「菊の姉弟――黄英」は、実は菊の精である姉弟と、無類の菊好きである男の話しである。以前は荒れ放題だった庭が…

不思議な少年

マーク・トウェインの死後、遺された多くの原稿の中に、サタンという不思議な力を持つ少年が登場する三つの未完成の原稿があった。これらをもとに編集されたのが「The Mysterious Stranger, A Romance」で、1916年に初版が発行された。 この方法については賛…

ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち

昨日の夕方、数年ぶりに「ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち*1」を手に取った。最初に読んだのはもう二十年近く前のことだ。 息をつく暇もない展開に、気がつけばまるで初めて読む時のように興奮しながら文字を追っていた。昨夜などは寝床でほんの少し続…

宝物

先月、日本に行った際、夫の実家に置かせてもらっている荷物の中から、十冊の文庫本を掘り出してこちらに持ち帰った。佐藤さとるの童話集*1だ。 小学校の時に親から買ってもらって以来、どこへ引越しをしても、この童話集はいつも一緒だった。 一旦ページを…

ゴッホの手紙 ベルナール宛*1

次にアルルの遠望がある。町は二三の赤い屋根と塔としか見えない。あとは、無花果の樹の緑にかくれている。それは奥の方で、上部には青空のせまい帯がある。町はきんぽうげの花が一面に咲き乱れた大きな草原で包まれ――黄色い海のような――この草原は、手前で…

「自分」を捨てること2

「この世はただ、心の持ち方一つにかかっている」 この言葉を、近頃は特に身に染みて感じる。鴨長明の方丈記にも「三界はただ心一つなり」とあるように、もともとは仏の教えの一つだそうだ。 日々の生活も、心の持ちようでずいぶんと変ってくるものだ。例え…

Lottie's Princess Dress

こちらに来てしばらくした頃、図書館の絵本の本棚で偶然見つけ、一目で気に入った本。残念ながら、現在品切れのようで手元にはない。 物語は、子供(女の子)の気持ちや、その目に映る世界を見事に表していて、自然と心が動かされる。そして絵が素晴らしい。…

志賀直哉

折にふれて読んでいる志賀直哉の作品だが、最近になって、氏の何者からも自由な確固たる自己を、強く感じるようになった。 誰が何を言おうと、どう解釈しようと問題ではない。勝手なことを言いたい人には言わせておけばいい。自分にとって、唯一の問題は自分…

反省

「書くこと」に何よりも必要なのは、客観的な目である。だから、「書くこと」で真実へ近付こうとしている人間にとっては、自分自身への反省こそがすべてだと言えるのではないか。ドストエフスキーもジイドも、自己を徹底的に理解するところから始めている。…

「絵のある人生」

色や形の問題は基礎でなくはないけれど、本当の基礎は、心の中にあるもので、「絵が好き」という心情に勝る基礎はありません。 ――「6 絵を始める人のために」より 安野光雅の著書「絵のある人生―見る楽しみ、描く喜び― (岩波新書)」は、氏の告白である。自…

絵本平家物語

安野光雅の「繪本 平家物語」、頁をめくる度に現れる抑えられた色調の絵を眺めていると、それまで頭の中を騒がせていた言葉はいつの間にか姿を消し、心地よい時間が訪れる。言葉に邪魔されることなく、美しいものを感ずるとは、私にとって何ものにも代え難い…

悔恨

十年前、ある人を亡くした。それは一種の事故だったが、相手に対して後ろ暗いところがあった私は、完全に打ちのめされた。心の崩壊が収束した後は、悔恨の気持ちが長く尾を引き、自分をいたぶるように荒んだ生活を送った。「私のせいだ」と自分を責めること…

John Muir

この本には「国立公園の父」と呼ばれ、アメリカの自然保護活動を推進したジョン・ミューアの「The Story of My Boyhood and Youth(1913)」、「My First Summer in the Sierra(1911)」、「The Mountains of California(1894)」及び、短いエッセイが十篇ほど収…

ナルニア国物語

私が初めて「ナルニア国物語」を読んだのは中学に通っていた頃で、あまり早い方ではない。日本の面白いと思われる本を読み尽くしたので、恐る恐る手を出した感がある。幼い頃は、日本の本も海外の翻訳本も手当たり次第に読んでいたが、ある時から、翻訳本に…

オズの魔法使い

子供の頃、家の本棚に並んでいた日本・世界の童話全集。 特に繰り返し読んだものが何冊かある。「ハウフ童話」に収められていた「鼻の小人」は、独特の雰囲気が漂い、読んでいるとすぐに物語の世界に引き込まれた。長編の「水の子トム」も何度も読んだ。 「…

死への準備2

志賀直哉の叔父は死ぬ間際、「人生とはこんなものか*1」と言ったという。このことを伝え聞いて、氏は何だか不快な思いがしたと書いている。 自分の死を思ったことのない人はいないだろう。だが、身近な人々の死に直面しても、自分の死だけはいつまでもやって…

言葉の力

先週、ものの「名前」と「本来の姿」について書いてから、そのことが頭を離れない。この「頭を離れない」という表現も正しくはないようだ。実際には、言葉が邪魔になり、頭の中は静まり返っている。ともすれば、目に映るものがそのまま飛び掛ってくるように…

名前

思わず立ち上がりながら、彼は「そうか海は海だってことか」と呟いた。そうしたら、急に笑い出したくなった。「そうさ、これは海なんだよ、海という名前のものじゃなくて海なんだ」 ―「コカコーラ・レッスン」谷川俊太郎 これが私の優しさです 谷川俊太郎詩…

私小説への回帰

ある関係から、「ナショナル・ストーリー・プロジェクト*1」という翻訳本を手にする機会があった。これはポール・オースターが、NPR*2の企画で一般人から事実の物語を募集しラジオ上で発表後、それらを編集したものである。ポール・オースターはまえがきで、…

文章修業

約三年前、半年間ほど文章の添削を受けたことがある。その頃の私は、何かを書いてみてはその拙さに「もう書くのはやめよう」としばらく書くことから離れ、また戻ってくるということを繰り返していた。そのくせ変な自信だけはあった。結局、書くことに見切り…