悔恨

鳥

 十年前、ある人を亡くした。それは一種の事故だったが、相手に対して後ろ暗いところがあった私は、完全に打ちのめされた。心の崩壊が収束した後は、悔恨の気持ちが長く尾を引き、自分をいたぶるように荒んだ生活を送った。「私のせいだ」と自分を責めることで、生きる力を得ていたのかもしれないが、実際のところは今もわからない。
 この時のことは、当時同じく悲しみを味わった夫とも、話すことはほとんどなくなった。思い出すこともはばかれ、書くことなど到底できるとは思えない。当時の自分を冷静に観察することは、今もできないままだ。無理して書いてみたところで、恐ろしく感傷的で、読むに堪えないものになるだろう。
 だがこのようなことはもちろん、私に限ったことではない。口には出さないが、自分でもどうにもならない過去の出来事を抱えて暮らしている人は多い。
 小林秀雄の以下の文も、そういうものの存在をよく表しているように思う。

中原と会って間もなく、私は彼の情人に惚れ、三人の協力の下に(人間は憎み合う事によっても協力する)、奇怪な三角関係が出来上り、やがて彼女と私は同棲した。この忌わしい出来事が、私と中原との間を目茶目茶にした。言うまでもなく、中原に関する思い出は、この処を中心としなければならないのだが、悔恨の穴は、あんまり深くて暗いので、私は告白という才能も思い出という創作も信ずる気にはなれない。驚くほど筆まめだった中原も、この出来事に関しては何も書き遺していない。
――「中原中也の思い出(昭和九年八月)」小林秀雄 考えるヒント (4) (文春文庫) より

 志賀直哉の「暗夜行路」を読んでいると、主人公・時任謙作の鬱屈とした心情が自分の中に流れ込んでくるようで、息苦しさを覚えることがある。これは、面白い、面白くない、の話しではない。あのような心理状態を、どうしてあそこまで精緻に書くことができるのかという話しである。
 生まれて間もない長女の病死など、悲しみに浸っても決してとがめられることのない状況においてさえ、氏の眼は冷静だった。そのような眼を持つ人間には、「悔恨の穴」はないのだろうか。私には想像することしかできない。