批評

 世間にあふれる専門家と呼ばれる人の文芸批評も、素人の批評めいた読書感想も読むに堪えないものが多い。共通しているのは、そこに書き手の心が少しも見えてこないということだ。並べ立てられた憶測や単なる好き嫌いは、書き手が少しもその作品と向き合っていない事実を露呈しているような気がしてならない。
 時として出会う優れた批評文に共通していることがある。書き手は作品や作者を批評しているのではなく、作品を通して自分自身を見つめているということだ。書き手は他人を批判することの難しさをよく理解している。批判にとどまることの無能を理解している。自己に立ち返るしか方法がないことを理解しているのだ。
 そこには書き手の心のあり方そのものが現れている。たとえ文章が未熟であろうと難解であろうと、そういうものだけが読み手の心に響くのではないだろうか。
 「表立って目には付かなくとも、世の中には黙々と己の信じた道を歩く人が必ずいる」これは優れた批評文に出会ったとき、私が感じることであり、日々の励みでもある。

批評するとは自己を語る事である、他人の作品をダシに使って自己を語る事である。
――「アシルと亀の子」小林秀雄初期文芸論集 (岩波文庫) より