明日死ぬとわかっていても、その生活を選ぶのか。
これは、今自分が幸せに生きているかどうかを計る単純でわかりやすい問いかけだ。もし、すべてを捨ててどこかへ飛び出すだろうと答えるのなら、今すぐ飛び出した方がいい。早い方がいい。もう自分を、自分以外の誰かの犠牲にするのはやめた方がいい。お互いのためにも。

賢明な親はわかっている。自分たちが子供にできる唯一のことは、自分自身の力で歩いていけることを、身をもって示すことだと。「心配」という便利な言葉のもとに、相手が一人で歩く力を奪ってはならない。

自分を幸せにできるのは自分しかいない。死へ旅立つときは、誰もが一人だ。

自分の幸せのために生きられなかった人は、死ぬ間際になって思うだろう。「自分は一体何をしてきたのだろう」と。そして残された人たちには、悲しみと後悔をもたらす。

だが、自分の幸せのために生きた人の死は、決して悲しむようなことではない。物理的な寂しさはあるかもしれない。でも、そんなものとは比べ物にならないようなものを彼らは私たちに与えてくれた。自分自身を幸せにすることの大切さを、身をもって示してくれた。そう、賢明な親と同じように。

私が死ぬとき、私に関わってくれた人たちの一人でも多くが、笑っているといいなあと思う。少なくとも、私の心は笑っているだろう。明日死ぬとしても、私は変らず手を動かし続けることを選ぶから。