志賀直哉

 折にふれて読んでいる志賀直哉の作品だが、最近になって、氏の何者からも自由な確固たる自己を、強く感じるようになった。
 誰が何を言おうと、どう解釈しようと問題ではない。勝手なことを言いたい人には言わせておけばいい。自分にとって、唯一の問題は自分自身の克服であり、自分がすべきことをわかっているのは、誰よりも自分自身なのだから。
 随所から、そんな言葉が聞こえてくるようだ。実際、明治初期の志賀日記には、「人間は――少なくとも自分は自分にあるものを生涯かゝつて掘り出せばいゝのだ。自分にあるものをmineする。これである」といったような記述が多く見られるという*1
 私は実際に経験したことしか、自分の考えとして信用しないことにしている。油断すると、ただ頭で理解しただけの誰かの考えを、自分の考えだと思い込んでしまうからだ。それだけは避けたい。
 だが、何かを経験し、それが以前どこかで読んだり聞いたりした誰かの考えと本質的に同じだった時や、その後同じような考えに出会った時などに、ほっとしている自分もよく知っている。逆に言えば、自分だけが経験したであろうことを、一つの考えとするのは少し怖いのだ。考えを述べるのに、裏付けとなる誰かの言葉を引用してしまうのも、情けないことに、まったく私の自信のなさの現れでしかない。
 ここまで書いてわかった。結果的に、私は誰かの思想をなぞってきたに過ぎないのだ。
 志賀直哉はそうではなかった。すべて自分で道を切り開いていこうとした。そしてそれを貫いた人である。
 氏の覚悟は、内村鑑三のもとを去った時、既にあった。

 それから幾月かして、私は先生*2の所へ行き、はっきりお断りして、それきり行かなくなった。気不味い気分は少しもなかった。私の先生に対する尊敬の念に変りはなかったが、私には私なりに小さいながら一人歩きの道が開きかけていた時で、先生の所を去る気になったのだが、先生はまた来たくなった時は来てもいい、といわれたと記憶する。
――引用は、「内村鑑三先生の憶い出」志賀直哉随筆集 (岩波文庫) より

 志賀直哉を思った時、たとえ目的地は同じだとしても、これまでの私のように誰かが先に作った道を歩くのと、独りで道を切り開きながら進むのとでは、大きな違いがあることに気付き、愕然とした。単に、凡人と天才の差として片付けてしまってはならない大事なものが、そこには関わっているような気がしている。

*1:引用及び参考:「小僧の神様―他十篇 (岩波文庫)」解説 紅野敏郎

*2:内村鑑三のこと