色や形の問題は基礎でなくはないけれど、本当の基礎は、心の中にあるもので、「絵が好き」という心情に勝る基礎はありません。
――「6 絵を始める人のために」より
安野光雅の著書「絵のある人生―見る楽しみ、描く喜び― (岩波新書)」は、氏の告白である。自身の経験による絵に対する考えだけではなく、時には、不遜な考えを持ったことや、恥ずべきことをしてしまったことなども述べられている。
その口調は軽快で、もはや苦悩は感じられず、絵に対する愛情だけがにじみ出しているような文章だ。私は絵を描かないので、「絵」を「言葉」や「文章」に置き換えて読んだ個所もある。冒頭の引用文もその一つだ。
これほど静かに、自身の歩く道を語る人がいただろうかとさえ思った。少しも気負うところがなく、押し付けがましいところもない。
これは非常に難しいことだ。文章にはその人間が表れる。どんなに冷静を装っても、心の中が少しも穏やかでなければ、読み手にはその不自然さがすぐに伝わってしまう。いい文章とは生活に対する真摯な態度の反映であり、技術だけではどうにもならない。だからこそ、一生をかける価値があるのではないのだろうか。
わたしは、文章の巧みさではなく、その背後にある彼のひたむきな情熱にこころを動かされていたのです。「文学としても感動を受けた」と言ったのは文章そのものからではなく、それを書かねばならなかった筆者の心情そのものからで、文学とは本来そのようなものなのだ、と言えます。
――「3 絵に生きる」より
これは「ゴッホの手紙*1」を読んだ時の感動について述べたものだ。氏もまた、この著書の中で、自身にとって「書かなければならなかった」ことを書いたのだろう。私の受けた感動がそれを表しているように思う。
*画像は、波打ち際を走るWhimbrel(チュウシャクシギ)です