清貧

 このところずっと「聊斎志異*1」を楽しみながら読んでいる。一つ一つの話しが短いので、ちょっとした時間に読めるのもいい。昨夜、寝床で読んだ「菊の姉弟――黄英」は、実は菊の精である姉弟と、無類の菊好きである男の話しである。以前は荒れ放題だった庭がいつのまにか菊の花で埋め尽くされているのを見て男が驚く場面では、私もうっとりとした気持ちになった。
 ところで、この話しを読んでいる途中、ある言葉に目が留まった。「清貧」という言葉である。長い間、忘れていた言葉だったが、思い出したとたん、不思議と身の引き締まる思いがした。
「清貧」には、少しのみすぼらしさもない。限りなく自主的で、潔いのである。
 我が身を振り返って、いつのまに、どれほど生ぬるい中で過ごすようになっていたのだろうと思った。欲しいものは結局のところ、ほとんど手に入れておきながら、それでも「あれが足りない、次はこれが欲しい」と、その欲望が尽きることはなかったのではないか。思う通りにならないことを、不満に思うことも度々だった。
「清貧」という言葉は、さながら魔法のように私に作用した。毎日暮らす家があり、食べ物にも事欠かない。車まである。むしろ恵まれすぎているくらいで、「清貧」とは程遠い。そう分かって、恥ずかしかった。
「清貧」を忘れずにいようと思う。この先もし再び、生活に不満を抱いてしまうことがあるとすれば、それはこの言葉を忘れてしまっているからかもしれない。「清貧」を思えば、まずしなければならないことが何か、自ずと分かる。そのくらいの魔法がこの言葉にはあるようだ。