ゴッホの手紙 ベルナール宛*1

ゴッホの手紙 ベルナール宛

 次にアルルの遠望がある。町は二三の赤い屋根と塔としか見えない。あとは、無花果の樹の緑にかくれている。それは奥の方で、上部には青空のせまい帯がある。町はきんぽうげの花が一面に咲き乱れた大きな草原で包まれ――黄色い海のような――この草原は、手前で紫の菖蒲の花で埋った溝で区切られている。
――「第五信」より

 文字を追うごとに、風景が彩りを増していく。何と美しい描写であろうか。これが、ゴッホの眼なのだ。


 自身に対して恐ろしいほど真剣に向き合い続けたゴッホは、当然、友人に対しても力を抜くことはなかった。ベルナールは序文でゴッホを「あれほど私が感動をうけた献心的でやさしい愛情の持主」と表現している。
 だから、ゴッホにとって手紙とは、告白の場でもあったのだろう。彼のような人間には本心以外なかった。そこから否応なしに伝わってくるのは、絵に対する並々でない情熱である。心を静かにして読み進めれば、たちまちゴッホが生き生きと目の前によみがえり、彼の興奮は私の興奮となる。ほんの数ページを読み終えただけで、既に私は身体が熱くなるのを感じた。
 1889年12月初め、サン・レミーの療養所にて書かれた最後の手紙に印象的な記述があった。ゴッホが三十七年の生涯を閉じる約半年前のことである。

落ち着いて仕事していれば、美しい題材は自然に見つかる。前もって計画を決めず、パリ的な考え方に捕らわれず、ほんとにもっとよく現実に浸らなければだめだ。
――「第二十一信」より

 これは、それまでの経験から直観的に真実だとわかっていることであり、苦悩する自身への励ましの言葉でもあったのだろう。
 現実を何よりも重んじたゴッホは、想像で絵を描くなどということは決してしなかった。「自然にはっきり背を向ける気はない」、「自然にはすべてがあるような気がするし、それを識別すればいいのだと思う」……と、随所で自然に対する強い思いが語られているように感じた。これは私も同じ思いだから、ことさら胸に響いたのかもしれない。