死への準備2

 志賀直哉の叔父は死ぬ間際、「人生とはこんなものか*1」と言ったという。このことを伝え聞いて、氏は何だか不快な思いがしたと書いている。
 自分の死を思ったことのない人はいないだろう。だが、身近な人々の死に直面しても、自分の死だけはいつまでもやって来ないような気がしている。想像してみたところで、平静に死を受け入れている自分の姿しか思い浮かばない。これは希望なのだろうが。
 平家物語に、平家への謀反を企てた罪で島流しにあった俊寛僧都という人物が登場する。一緒に流された成経、康頼の二人は、皇子誕生の恩赦で都へ戻ることができたが、俊寛だけは清盛に許されず、島に一人残された。都へ戻る二人を乗せた船が島を出る場面*2を読んでいると、何ともいえず息苦しい気分になった。
 世間からは捨てられたが、成経の舅からの援助があったから何とか生き延びることができた。だが、このまま置いていかれてはたった一人。これまで以上に死が間近に迫ってくる。自分自身が招いた結果とはいえ、なりふり構わないその姿が他人事とは思えなかった。
 実際に死が近付いてくると、想像している平静には程遠く、自分の死を受け入れられずにどうにかして生きようと足掻くのではないか。俊寛の様子を見ていると、考えまいとしていたことを思わずにはいられない。それが私を息苦しくさせるのだ。叔父の最後の言葉に志賀直哉が不快な思いを抱いたのも、同じような理由からではないだろうか。「城の崎にて*3」にも、死ぬ運命にありながら必死に逃げ惑う鼠を見た時の、氏の率直な思いが綴られている。
 死は誰にとっても、決して避けて通ることのできないものである。死の間際になって、足掻いたり悔やんだりするかどうかは、自分の人生を一日一日しっかり生きてきたかどうかにかかってくる、そう信じたい。