絵本平家物語

絵本 平家物語

 安野光雅の「繪本 平家物語」、頁をめくる度に現れる抑えられた色調の絵を眺めていると、それまで頭の中を騒がせていた言葉はいつの間にか姿を消し、心地よい時間が訪れる。言葉に邪魔されることなく、美しいものを感ずるとは、私にとって何ものにも代え難い喜びである。
 壮大な景色の中、登場人物は精密に、しかし時には豆粒ほども小さく描かれる。自然や時代のうねりの中では、人間がいかに小さな存在であるかを知らされる思いだ。氏は、自分を捨て、一歩退いたところから世の中を眺めているのであろう。あとがきの「この物語の英雄たちも、しょせん物語という大きな時代の流れの脇役にすぎないと思う」という一文は、そんな氏の冷めた目をよく表しているのではないか。
 文章でも絵でも、いい作品を生み出す「目」には相通ずるものがある、そう思わずにはいられなかった。
 最後に氏の文をもう一つ、同じく「絵本平家物語」のあとがきから引用する。

「おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ」とはよく言ったものである。
 亡びることは、はかない。しかし亡びることは、新しいものを生みだすことでもある。歴史は滅亡と新生の繰り返しなのだから、詠嘆は、心をとりなおすために必要な、浄化の手段なのかもしれない。

 ところで初めてこの画集を開いた時、目にしたとたん「ああ、この場所を知っている」と胸が高鳴った絵がある。題目に「水島合戦*1」とあるのを見て、やはりと思った。こちらへ来る前は年に何度も往来した、あふれるばかりの光を帯び、穏やかにまどろんでいる、瀬戸内の明るい海だった。

こちらは「足摺」と「卒塔婆流」、共に流刑地の鬼界が島を描いた作品。

*1:巻第八