平家物語を読む186

巻第十二 吉田大納言沙汰*1

 さて鎌倉殿は、全国的に守護の設置と任命を行う権利を朝廷より得て、「日本国惣追捕使*2」となり、田一反ごとに兵糧米を割り当てるべき旨を、朝廷へ申し立てた。朝廷の敵を滅ぼした者は半国を与えられるという事が、法華三部経の一巻に見られる。けれども我が国ではいまだその例がない。「これは過分の申し出である」と後白河法皇はおっしゃったが、公卿の評議により「頼朝卿の申される事に、道理がないともいえない」という事になると、ついに法皇もこれを許されたと聞く。諸国には守護*3が置かれ、庄園には地頭*4が置かれた。これにより、一毛ほどのわずかな土地でさえも隠す事はできなくなった。
 ところで鎌倉殿はこの申し出を、たくさんいる人の中から、吉田大納言経房*5卿をもって法皇にお伝えした。この大納言は誠実な人と聞いていたのだ。平家と縁があった人々も、源氏が世の中で力を持つようになって後は、手紙をよこしたり使者を遣わせたりして、様々に取り入ってきたが、この人はそのような事を少しもしなかった。そういえば平家が世に栄えていた頃も、後白河法皇が押し込められた鳥羽殿に置かれた後院の別当*6は、八条中納言・長方卿とこの経房卿の二人が当てられたものだ。経房卿は権右中弁・光房朝臣の子である。十二の年、父がなくなり孤児になったが、昇進が滞る事もなく、五位蔵人・衛門佐・弁官の三つの要職を兼務し、五位蔵人頭を経て、参議大弁・太宰府の長官となり、ついに正二位大納言にまで至った。人を追い抜いてきたが、人に追い抜かれた事はない。よって人の善悪は、錐の先が袋を通すように隠しようがない。まったく稀有な人物であった。

*1:よしだだいなごんのさた

*2:にほんこくそうづいふくし:「惣追捕使」は守護の正式の呼称

*3:謀反人や盗賊の検察などに当たった

*4:年貢の徴収や凶徒の追捕などに当たる

*5:つねふさ:藤原氏北家

*6:上皇の御所に関する諸務を行う役人の長官