平家物語を読む172

巻第十一 内侍所*1都入*2

 新中納言・知盛卿は「見届けねばならない事はすべて見た。今となっては自害するだけだ」と、乳母の子である伊賀平内左衛門家長*3を呼んで、「どうだ、生死を共にという約束に間違いはないか」と尋ねた。伊賀は「言うまでもありません」と答えると、知盛卿に鎧を二揃え着させ、自身も鎧を二揃え着て、二人は手を取り合って海へ入った。これを見て、二十人ほどの侍たちも遅れる訳にはいかないと、手に手を取って同じ場所に沈んだ。だが、越中次郎兵衛、上総五郎兵衛、悪七兵衛、飛騨四郎兵衛は、何とかして免れたのだろう、どこかへ逃げていった。海上は投げ捨てられた平氏赤旗・赤印は、まるで竜田川*4の紅いもみじの葉が嵐に吹き散らされたようである。波打ち際に寄せる波も、薄紅に染まっていた。主人をなくした船は、潮に流され風に押され、どこへ向かうともなく揺れるばかりである。悲しい風景であった。生け捕りにされたのは、前内大臣・宗盛公、大納言・時忠、右衛門督・清宗、蔵頭・信基*5、讃岐中将・時実*6、兵部少輔・雅明*7、宗盛公の八歳になる次男、僧では二位僧都・全真*8、法勝寺執行・能円*9中納言律師・仲快*10、経誦房阿闍梨・融円、侍では源大夫判官・季貞*11、摂津判官・盛澄、橘内左衛門・季康、藤内左衛門・信康、阿波民部・重能父子、以上を主とする総勢三十八人である。菊地次郎高直*12、原田大夫種直*13は、戦の前から従者を引き連れて降参していた。女房では、建礼門院、北の政所*14、廊の御方*15、大納言佐殿*16、帥典侍殿*17、治部卿局*18以下、四十三人と聞く。元暦二年の春の暮れ、どのような巡り合わせで一人の天皇が海底に沈み、百人の役人が波の上に浮かぶというのか。天皇の生母とその女官たちは東国と九州の武士の手中にゆだねられ、君主に仕える近臣・公卿たちは数万の軍勢に捕らわれて、故郷である都に帰るのだ。朱買臣*19が捕らわれの身として故郷に帰った時の嘆き、王照君*20が和親のために異国へ赴いた時の恨みも、このようなものであったに違いない。ただ悲しみがあるばかりだった。
 四月三日、九郎大夫判官・義経が、源八広綱を使者として後白河法皇の御所へ「三月二十四日、豊前国田の浦*21・門司関・長門国壇ノ浦・赤間関にて平家を攻め落とし、三種の神器を無事に取り戻しました」と伝えたところ、御所中が大騒ぎになった。広綱は中庭へ呼ばれた。法皇は戦の次第を詳しくお尋ねになって、感心の余り広綱を左兵衛尉になされた。五日目になって、「確かに三種の神器が皇居へ返されるのか、確かめてきなさい」と、北面を警護する武士である藤判官信盛に西へ向かうように命じられた。信盛は宿所へも戻らず、すぐに御所の馬を借りて、馬に鞭を打って西を目指した。
 四月十四日、生け捕りにした平家の男女を連れて都へ向かっていた義経が、播磨国の明石浦*22に着いた。月の名所で有名な浦であるので、夜が更けるにつれ月はさえ渡り、その美しさは秋の空に劣らないほどである。平家の女房たちは集まって「去年、ここを通った時には、このような事になるとは思いもしなかった」などと言って、静かに泣き合った。帥典侍殿は月を眺めているうちに、いろいろな事を思い出し、止まらない涙に床板が浮きそうなほどである。その思いを歌に詠んだ。
   ながむればぬるゝたもとにやどりけり月よ雲井のものがたりせよ*23
   雲のうへに見しにかはらぬ月かげのすむにつけてもものぞかなしき*24
大納言佐殿はこう詠んだ。
   我身こそあかしの浦にたびねせめおなじ浪にもやどる月かな*25
これを見た義経は、武士ではあるが情けのある男であったので、「さぞかし悲しいだろう、昔を恋しく思われるのももっともだ」と、身にしみて気の毒に思った。
 四月二十五日、三種の神器の一つである八咫鏡*26と、八尺瓊勾玉*27が納められている箱が鳥羽に着いたという噂が流れると、内裏より人々が迎えに向かった。それらは、勘解由小路中納言経房卿*28、高倉宰相中将泰通*29、権右中弁兼忠*30、左衛門権佐親雅*31、榎浪中将公時*32、但馬少将教能*33、武士では伊豆蔵人大夫頼兼*34、石川判官義兼*35、左衛門尉有綱*36と聞く。その夜の深夜十二時頃に、八咫鏡*37と、八尺瓊勾玉*38が納められている箱は、太政官の正庁へ入った。草薙剣は失せた。八尺瓊勾玉海上に浮かんでいたのを、片岡太郎経春*39が取り上げたと聞く。

*1:三種の神器の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)

*2:ないしどころのみやこいり

*3:桓武平氏

*4:奈良県生駒郡斑鳩町の三室山の麓を流れる川で、紅葉の名所

*5:信範の子

*6:時忠の長男

*7:藤原南家

*8:藤原親隆の子

*9:藤原顕憲の子

*10:教盛の子

*11:清和源氏の末流である安芸守・源季遠の子

*12:肥後国菊池郡の豪族

*13:大宰大監大蔵種平の子

*14:関白・藤原基通の妻で、故清盛の娘

*15:清盛と常盤の間に生まれた娘

*16:すけどの:重衡の妻

*17:そつのすけ:時忠の妻で、安徳天皇の乳母

*18:じぶきょうのつぼね:知盛の妻

*19:しゅばいしん:実際は、前漢武帝に認められ故郷に錦を飾った

*20:おうじょうくん:前漢元帝の官女であったが匈奴に嫁ぎ、そこで自殺した

*21:現福岡県北九州市門司区田野浦

*22:兵庫県明石市の海岸

*23:月を眺めていると、涙に濡れた袂にその光が宿っている。月よ、雲間(宮中の意も含んでいる)の話しを聞かせておくれ

*24:昔、雲の上(宮中の意も含んでいる)で見た時と変わらない月が、今も澄み渡っているいるのを見るのは悲しい事である

*25:我が身はこうして明石の浦で旅寝をする事になるだろうが、月も同じようにこの浦の波に宿っている

*26:やたのかがみ

*27:やさかにのまがたま

*28:かでのこうじ:藤原光房の次男

*29:やすみち:藤原為通の子

*30:かねただ:村上源氏

*31:ちかまさ:藤原親隆の子

*32:えなみ きんとき:藤原実国の子

*33:のりよし:藤原脩範の子

*34:源三位頼政の子

*35:河内源氏義基の子

*36:源三位頼政の孫で、頼兼の兄・仲綱の子

*37:やたのかがみ

*38:やさかにのまがたま

*39:つねはる