平家物語を読む145

巻第九 落足*1

 故重盛公の末子である備中守・師盛は、従者と七人で小舟に乗り逃げようとしていた。そこへ、新中納言・知盛卿の侍である清衛門公長という者が駆けて来た。「そちらは備中守殿の舟と思われますが、乗せていただけませんか」と言うので、舟は再び岸に寄せられた。鎧を着た大の男が馬から舟へ飛び乗ろうとしたのだから、いい事があろうか。舟は小さい事もあり、くるりとひっくり返ってしまった。備中守が浮き沈みしているところへ、源氏方の畠山の従者である本田次郎が、十四、五騎で駆けて来たかと思うと、備中守を熊手にかけて引き上げ、首を切ってしまった。年は十四歳だったと聞く。
 越前三位・通盛*2卿は、鵯越の麓を固める軍勢の大将軍であり、その日の装束は、赤地の錦の衣に、唐綾を細く畳んだもので綴った鎧を着て、たてがみと尾が黒い黄味がかった白馬に、前後を銀で縁取りした鞍を置いて乗っていた。既に顔面を射られ、敵に味方との間を押し隔てられ、弟の能登守・教経とは離れ離れになっていた。静かな場所で自害しようと、東に向って逃げて行く途中、近江国の住人・佐々木木村三郎成綱や武蔵国住人・玉井四郎資景ら七騎に取り囲まれ、ついに討たれた。その時まで付き従っていた侍が一人いたが、最後の時に駆けつけてくる事はなかった。
 二時間もの間、東西の木戸口で戦が続いたので、源氏も平氏も無数の者が討たれた。矢倉の前、逆さに立てられた木の下には、人や馬の死骸が山のようになっている。一の谷の笹の生える野原は、緑色とは打って変わって薄紅に染まっていた。一の谷・生田の森、山際の断崖、海の水際で、射られたり切られたりして死んだ者に至っては、どれだけいるかわからない程である。源氏の肩に掛けられた首は、二千に及んだ。今度の戦で討たれた平家の主だった人々は、越前三位・通盛と弟の蔵人大夫・成盛、薩摩守・忠教、武蔵守・知明、備中守・師盛、尾張守・清定、淡路守・清房、修理大夫・経盛の息子である皇后宮亮・経正と弟の若狭守・経俊とその弟の大夫・敦盛の十人だと聞く。
 戦に敗れた平家は、安徳天皇を始めとして、皆が舟に乗り込んだが、その心の内はどれほど悲しいものであったろう。潮に流され、風に吹かれて、紀伊路*3へ赴く舟もあれば、芦屋*4の沖に漕ぎ出て、波間に揺れる舟もある。ある舟は須磨から明石へと浦を伝いながら進む。宿泊地も定まらぬ舟の旅である。ひとり寝の袖を涙で濡らしながら、おぼろに霞む春の月を見て、思い悩まない人はいない。また、ある舟は淡路の海峡を抜け、絵島*5の磯に漂っている。夜の海上にかすかに響き渡る仲間からはぐれた千鳥の声が、自分自身と重なった。行き先もまだ決まらないと見えて、一の谷の沖をうろうろする舟もある。このように風に任せて、波に従って、浦から浦へ、島から島へと漂っていては、皆それぞれが他人の生死を知る事も難しかった。十四ヶ国*6を討ち従え、十万騎以上の軍勢を率い、都までわずか一日で行ける道程であったので、今度こそは都に帰れるだろうと頼もしく思っていたというのに、一の谷までも攻め落とされて、平家の人々はすっかり気を落としていた。

*1:おちあし

*2:みちもり:教盛の長男

*3:きのじ:紀州(現和歌山県

*4:兵庫県芦屋市

*5:淡路島の北端で、現淡路町岩屋付近

*6:山陽道八ヶ国、南海道六ヶ国