平家物語を読む146

White-breasted Nuthatch

巻第九 小宰相身投*1

 越前三位・通盛卿の侍に、くんだ*2滝口時員*3という者がいた。通盛卿に最後まで付き従った侍だった。時員は通盛卿の最期を伝えるために、北の方の舟を訪れたのである。「主君は湊川下流で、敵七騎に取り囲まれて討たれました。その中で直接、手を掛けた者は、近江国の住人・佐々木木村三郎成綱と武蔵国の住人・玉井四郎資景と名乗っていました。時員も同じ場所で討死にして、最後のお供をするべきでしたが、予てから主君に『たとえ通盛が死んだとしても、お前は命を捨ててはならない。どうにかして生き永らえて、北の方をお世話申し上げよ』と命じられていましたので、生きていても仕方のない命を生きて、恥知らずにもここまで逃れてきた次第です」これを聞いた北の方は、返事すらままならずに、衣をかぶって泣いてしまった。確かに討たれたと聞いても、もしや誤報という事もあるかもしれない、生きて帰る事もあるかもしれないと、二、三日はほんの短い間出かけた人を待っているような気持ちでいたが、四、五日も過ぎると、もしやと思っていた気持ちもすっかり薄くなってしまい、寂しくて不安で仕方がなかった。仕えていたたった一人の乳母の女房も、同じように悲しみの淵に沈んでいた。
 通盛卿が討死にした事を聞いた二月七日の夕暮れから、十三日の夜まで、北の方は起き上がる事もできなかった。翌十四日は屋島へ向う舟の中で、夜中過ぎまで泣き伏していたが、夜が更けるにつれて舟の中も静まってくると、北の方は乳母の女房に言った。「今度の戦で通盛卿が討たれたと聞きましたが、本当だとは思わずにいたのです。そうではありましたが、今日の夕暮れ頃から、そうかもしれないと覚悟を決めたのですよ。誰もが通盛卿は湊川とかいう川の下流で討たれたと言いますが、その後に生きている通盛卿と会ったと言う者は一人もいません。明日が出陣という前の夜、ほんの一時的な場所で会いました。いつもより不安そうで悲嘆に暮れながら『明日の戦では、きっと討たれてしまうだろう。私が死んで後、あなたはどうなさるつもりか』などと言ったのですが、戦はいつもの事であるので、本当にこうして討たれるとは思いもしなかった事が悔しいのです。それが最後の対面だと気付いていたならば、どうして来世も同じ極楽浄土に生まれ合う事を約束しなかったのかと、思い出すにつけて悲しいのです。身体が普通の状態ではない事も、普段は隠して言わずにいましたが、気が強いと思われまいとして伝えたところ、この上なく嬉しそうな様子で、『通盛は三十になるまで、子というものがなかったというのに。ああ、男子であるといいなあ。この世に死後の忘れ形見を残す事ができる。さて、幾月ほどになるのか。気分はどうか。いつまで続くか分らない波の上の舟が住まいであるのだから、平穏に出産をしようとする時はどうしたらよいだろうか』などと言っていましたが、虚しい口約束になってしまいました。本当でしょうか、女はそのような時、十人に九人は必ず死ぬと聞きますから、恥ずかしい思いをして、その上死んでしまうのも辛く苦しい事です。平穏に出産をして後、幼い子を育てながら、そこに亡き人の面影を見ようと思っても、幼い子を見る度に、昔の人が恋しいばかりでしょう。思慕の念が積み重なったとしても、決して慰められる事はないでしょう。結局は逃れる事のできない道です。もしどういう訳かこの世で悲しみや苦しみに耐えながら暮していったとしても、思い通りにはならないのが世の中の常であるように、予想もしなかった不本意な事があるかもしれません。それを思うと辛いのです。恋しい人は眠れば夢に現れ、覚めれば幻となって現れるのです。生きていて、何かにつけて通盛卿を恋しいと思うよりも、ただ水の底へ入ろうと覚悟を決めました。あなたが一人残されて嘆くであろう事だけが心苦しいですが、残った私の装束をどこの僧にでもいいから渡して、通盛卿の供養もして差し上げ、私の来世での往生を祈っておくれ。書置きした手紙を都へ送っておくれ」このように自分が死んだ後の事まで細々と言うので、乳母の女房ははらはらと涙を流した。「あどけない子をも振り捨てて、老いた親をも置き去りにして、ここまで付き従って参りました者の志を、どれ程のものとお考えでしょうか。その上、今度の一の谷の戦で討たれた人々の北の方の思いは、どれを取っても切実でない事はありますまい。どうか、我が身の上だけに起きた事だとはお思いになりませぬよう。平穏に出産をなされて後、幼子を育て上げられましたら、どこかの岩や木にできた洞穴ででも、髪を下ろし、念仏を唱えて亡き人のご供養をなさりませ。来世で必ず同じ所へ生まれ合おうと考えられたとしても、来世で生まれ変わった後は、生前の所業により、六道*4・四生*5の間で、どの道に赴かれる事になるか分りません。来世で同じ所に生まれ変わるかどうかも分らないのならば、身投げをされてもいい事はありません。その上、都に残してきた方々の事を、一体誰に世話させようと思って、このような事をおっしゃるのでしょうか。恨めしくて、承知する事はできません」女房がこのようにさめざめと訴えるので、北の方は打ち明けた事を悔やんだのだろう、「それは、私の身になって考えてみておくれ。世の中に恨めしさを感じた場合に、身を投げるなどという事は、よくある事です。けれども、本当に思い立ったのならば、あなたに知らせる事はないでしょう。夜も更けました、さあ寝ましょう」と言った。女房は、この四、五日、湯水でさえも満足に召し上がってはいない人がこのようにおっしゃるとは、本当に思い立ったからに違いないと思うと悲しくて、「十分に考えられた上での決断でしたら、深い海の底までも、お連れになってくださいませ。後に残されて、少しも生き永らえたいとは思いません」などと言った。だが、北の方のそばにいながら女房がうとうとしている隙に、北の方は音を立てずに舟のへりへ出た。広々とした海の上であり、どちらが西かは分らなかったが、月の入る方の山際を、極楽浄土のある西の空だと思ったのだろう、北の方は静かに念仏を唱え始めた。沖の白砂の洲で鳴く千鳥の声、海峡を渡る舟の音に、更に悲哀の気持ちが増したのだろう、静かに念仏を百篇ほど唱えて、「南無西方極楽世界教主弥陀如来*6、本願*7通りに極楽浄土へお導き下さい、互いに嫌になって別れたのではなく、無理に引き裂かれた夫婦の仲、必ず一つの蓮の上にお迎えください」と、泣きながらはるか極楽浄土に向って訴えると、「南無」の声と共に、海に沈んだのだった。
 一の谷から屋島へ渡る途中、真夜中の事であったので、舟の中は静まっており、これに気付く人はいなかった。寝ずに起きていた一人の舵取りだけが見つけて、「あれは何だ、あの舟から、世にも美しい女房が、たった今海へ入られたようだぞ」と叫んだので、乳母の女房ははっと目を覚ました。そばを探したが北の方がいないので、「ああ、ああ」とあっけにとられた。たくさんの人が舟から降りて、引き上げようとしたが、ただでさえ春の夜の月というものは霞むものであるのに、四方の雲の群れがどんどん漂ってきて、潜っても潜っても、辺りはぼんやりと霞んでいてよく見えない。しばらくして引き上げる事ができたが、既にこの世に亡き人となっていた。北の方は練貫*8の二枚重ねの衣に、白い袴を着ていた。髪も袴も潮水にびっしょりと濡れている。乳母の女房は北の方の手を取って、その顔に自分の顔を押し当てると、「どうしてこれ程まで決断されていたのなら、深い海の底までお連れになってくださらなかったのでしょう。そうであったとしても、今一度、何かお言葉を聞かせてください」と、身もだえして泣きついたが、一言も返事はなかった。わずかに通っていた息も途絶えてしまった。
 そうしているうちに、春の夜の月も傾き、霞んでいた空も明け始めた。名残は尽きないが、いつまでもそうしている訳にはいかないので、浮き上がらないようにと、残っていた故通盛卿の大鎧をまとわせて、亡骸は海に沈められた。乳母の女房は、今度こそは遅れる訳にはいかないと、続いて海へ入ろうとしたが、人々に何やかやと止められて、仕方なくあきらめた。どうにもならない思いからか、自ら髪をはさみで切り落とし、故通盛卿の弟である中納言律師・仲快*9に頭を剃ってもらうと、泣きながら仏教の戒律を守る誓いを立てて、主人の来世での往生を祈った。昔から夫に先立たれるという例は多いが、その場合、髪を剃り出家するのが世の常で、身を投げるというのはめったにない事である。忠義な家臣は主君を変えるような事はせず、貞節な女は再婚する事はない*10というのも、このような事を言うのであろう。
 この北の方というのは、頭刑部卿・憲方*11の娘である。上西門院*12の女房であり、宮中一の美人と評判で、名を小宰相と言った。小宰相殿が十六歳だった安元*13の春の頃、上西門院が法勝寺へ花見をなされた際、当時はまだ中宮亮として仕えていた通盛卿が、小宰相殿を見初めてから、その面影が頭から離れず、一時も忘れる事がなかったので、初めは歌を詠み、手紙をたくさん送ったのだが、手紙の数が増えるばかりで、なびく様子はなかった。こうして三年が経った。通盛卿は、これが最後と小宰相殿に手紙を書いた。使者の女房は小宰相殿に会う事ができず、虚しい思いで帰る道の途中、ちょうど自分の里から御所へ向う小宰相殿に遭遇した。女房はこのまま帰る事が不本意であったので、車のそばをつっと走り通るふりをして、通盛卿の手紙を小宰相殿の車のすだれの中へと投げ入れたのである。驚いた小宰相殿がお供の者に尋ねても、「知りません」と言う。開いてみると、通盛卿からの手紙であった。車に置いておく訳にもいかない。大路に捨てる事もさすがにはばかられたので、袴の腰に挟んだまま、御所へ入った。さて、宮中で働いているうちに、よりによって上西門院の前に手紙を落とした。これをご覧になった女院は、急いで衣の袂に隠された。「珍しい物を手に入れました。これは誰のものか」とおっしゃると、女房たちはすべての神仏に誓って「知りません」と答えるばかりである。その中で小宰相殿だけは、顔を赤らめて何も言わなかった。女院は通盛卿の事を以前からご存知であった。この手紙は開いてみると、香の匂いが特に懐かしく、筆使いも並々ではなく達者であった。「余りに気が強くて、あなたが受け入れてくださらないのも、今となっては軽薄ではないしるしとして返って嬉しいものです」などと細々書いてあり、最後には歌が一首あった。
   我こひはほそ谷河のまろ木ばしふみかへされてぬるゝ袖かな*14
女院は「これは会ってくれない事を恨んでいる文です。余りに気が強い事は、返って恨みを買う事になりますよ」とおっしゃった。そう遠くない昔、小野小町といって非常に美しく、愛情深い人がいた。見た人でも話しに聞いた人でも、心を奪われない人はなかった。けれども気が強いという評判をとったためだろうか、最後には男たちの恨みが積もった報いで、生活は困窮してしまった。荒れ果てた宿から見える明るい月を、涙を浮かべて眺め、野原の若菜や沢の根芹を摘んで、はかない命をつないだという。女院は「これは、どうしても返事をしなければなりません」と、硯を用意させて、もったいなくも自ら返事を書かれたのである。
   たゞたのめほそ谷河のまろ木橋ふみかへしてはおちざらめやは*15
通盛卿の胸の内の思いは、富士山の煙のように燃え上がり、袖に落ちる涙は清見が関*16に寄せる波のようである。「見目は果報の基*17」と言うように、通盛卿は小宰相殿をめとり、二人は互いに深い愛情を持っていた。よって、西海の旅の舟の中、海上の住まいまでも引き連れて、ついには同じ道へと赴いたのである。
 門脇の中納言・教盛卿は、嫡子の越前三位・通盛卿と末子の蔵人大夫・成盛に先立たれた。今や頼りになるのは、能登守・教経と僧の中納言律師・仲快だけになった。故通盛卿の形見と思って、小宰相殿を見ていたのに、それさえこのような事になってしまい、不安で仕方がなかった。

―巻第九 終わり―

巻第九の月日

*1:こざいしょうみなげ

*2:宮田、郡田、見田などの説があるが未詳

*3:ときかず

*4:地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上

*5:六道に生まれる場合の生成の仕方で、胎生・卵生・湿生・化生の四種

*6:阿弥陀仏如来に祈念する場合の呼びかけの言葉

*7:四十八ある阿弥陀如来誓願のうち第十八番目のもので、念仏を唱える者を極楽浄土へ迎えようというもの

*8:ねりぬき:生糸を縦、練糸(セリシンを除去した光沢のある絹糸)を横にして織った高級な絹織物

*9:ちゅうかい:忠快

*10:史記・田単伝」による

*11:のりかた:参議・藤原為隆の子

*12:鳥羽天皇の第二皇女である統子

*13:1175〜77年

*14:私の恋は細い谷川にかかる丸木橋のようだ。丸木橋が何度も踏み返されて濡れているように、私もあなたかた何度も手紙を突き返されて袖を濡らしています

*15:ただ一筋に希望を持ち続けなさい、細い谷川にかかる丸木橋が何度も踏み返されるうちに落ちるように、今にきっとあなたの情にほだされるでしょう

*16:静岡県清水市興津付近にあった関

*17:容貌の優れた女は男の愛情を得て幸せになるという意味