大学2年の頃、海外の山の事故で近しい人をなくした。亡骸は見つかっていないため、実感がないまま時間は過ぎていった。
今でもYさんは遠征の直前に私が出した手紙を身につけたままでいる。BCの荷物からは封筒だけが出てきたと後で聞いた。
これまでの間、私にもいろいろなことがあった。どうするべきなのか自分では決断できないようなときは、心のなかでYさんに相談し、背中を押してもらったことも多い。
2年前の夏、引き寄せられるように向かった望岳台への道の途中で、霧のなかから美瑛富士が姿を現したとき、「そうか、Yさんはここに戻って来ていたんだ」と気付いた。
それは最近のことではないように感じた。私が右往左往している間にYさんは好きな場所に戻っていたことを知って嬉しかった。
十勝~表大雪はYさんと歩いたことがある山域だ。Yさんは、本格的な山登りが初めての私に技術的なことではない山に関することをよく話してくれた。ナキウサギの声を教えてくれたのもYさんだった。
そして、ここからはこの8月以降の話になる。8月頭の2つの出会いがきっかけとなり、雪が降る前に美瑛富士小屋へナキウサギに会いに行けたらと思い始めたのは8月半ばのこと。
9月末の週末であれば何とか時間が取れることがわかったので、美瑛富士小屋へは9月28日に行くことにした。
行くことを決めた後はすべてがスムーズに決まった。呼ばれているのだなと思った。
私にはずっと後悔があった。あの頃は周りの皆が悲しんでいて、自分の後悔を本当の意味で打ち明けることができる人はいなかった。私にはYさんが帰ってこない事実を乗り越えたふりをして生きるしかなかったのだと思う。そのために自分らしくないこともいっぱいしてきてしまった。
美瑛富士でYさんに会えたら、時間はかかってしまったけれど私はもう大丈夫、元気にやっていると伝えたい。今度こそちゃんとYさんとお別れしよう。
行く前に正確な情報を確認しようと、事故の記録を探した。記録はずっと見ないようにしていた。見るとどうしても胸がしめつけられるから。
あれは私が大学2年だったので・・・記録には1994年とあった。ちょうど30年が経っていたんだ。
そして、記録にはC3からの最後の交信が9月28日の11時であったことが書かれていた。