平家物語を読む98

Eastern Bluebird

巻第七 北国下向*1

 そうしているうちに、義仲が東山・北陸の両道を従え、五万騎ほどの軍勢で今すぐにも京へ攻めてくるという噂が流れた。平家は昨年から「来年は馬に若草を食わせる四月頃に、戦があるだろう」と伝達していたので、山陰・山陽・南海・西海の兵士たちが雲霞のごとくに駆けつけてきた。東山道の近江・美濃・飛騨の兵士たちも集まったが、東海道では遠江から東の地域の兵士たちは来ず、西の地域の兵士たちだけがやって来た。北陸道では、若狭から北の地域の兵士たちは一人も集まらなかった。
 まず、木曾冠者・義仲を追討して、その後、兵衛佐・頼朝を討とうと、北陸道へ討手を送る事になった。六人の大将軍、小松三位中将・維盛*2、越前三位・通盛*3、但馬守・経正*4薩摩守・忠度*5三河守・知度*6、淡路守・清房*7と、九人の侍大将、越中前司・盛俊*8、上総大夫判官・忠綱*9、飛騨大夫判官・景高*10、高橋判官・長綱*11、河内判官・秀国*12、武蔵三郎左衛門・有国*13越中次郎兵衛・盛次*14、上総五郎兵衛・忠光*15、悪七兵衛・景清*16が、戦力となる侍三百四十人以上を従え、総勢十万騎以上で都を発ち、北国へと赴いた。寿永二年四月十七日、午前八時頃の事である。軍費として片道分の費用を沿道諸国から徴発する権限を与えられたので、逢坂の関に始まり、道すがら出会う権力や勢力のある家柄の正税*17・官物*18をも恐れずに、すべて奪い取り、志賀・辛崎・三河尻・真野・高島・塩津・貝津の道に沿って家屋や資財を没収していくと、民衆は耐え切れずに野山の中へと皆、逃げ隠れた。

*1:ほっこくげこう

*2:これもり:重盛の長男

*3:みちもり:清盛の弟・教盛の嫡男

*4:つねまさ:清盛の弟・経盛の長男

*5:ただのり:忠盛の六男で、清盛の弟

*6:とものり:清盛の六男、または七男

*7:きよふさ:清盛の七男、または八男

*8:もりとし:主馬判官・盛国の子

*9:ただつな:伊勢国古市を本拠とする藤原氏で、上総介・忠清の長子

*10:かげたか:忠綱の甥

*11:ながつな:盛俊の子

*12:ひでくに

*13:ありくに

*14:もりつぎ:盛俊の子

*15:ただみつ:上総介・忠清の第三子

*16:かげきよ:忠清の第四子

*17:しょうぜい:官庫に貯蔵された官稲

*18:かんもつ:諸国から官に納める物資