平家物語を読む167

巻第十一 志渡合戦*1

 夜が明け、二月十九日になった。平家は船に乗り込み、讃岐国志度の浦*2へと退いた。義経は三百騎の中から八十騎ほどを選りすぐり、平家を追った。これを見た平家は「敵は小勢だ。取り囲んで討て」と、再び千人ほどが渚に上がり、うめき叫びながら戦った。
 そうしているうちに、屋島にとどまっていた残りの二百騎の兵士たちが、遅れて駆けつけた。平家はこれを見て「何と、源氏の大軍勢が続いて来るぞ。一体、何十万騎いるのだろうか。取り囲まれてはとても敵わない」と、再び船に跳び乗ったのである。潮に流され、風に押されて、当てもないまま逃げて行く。四国はすべて義経に落とされ、九州は範頼によって既に占拠されている。行き所のない平家の船は、まるで死後に次の生処が決まらずにさまよう霊魂のようだった。
 志度の浦で、討ち取った平家の首を調べていた義経は、伊勢三郎義盛を呼ぶと言った。「阿波民部重能の息子である田内左衛門教能は、伊予の河野四郎道信が呼び出しに応じないので、これを討とうと、三千騎ほどで伊予国へ向かったが、河野四郎を討ち損ない、家来・従者百五十人ほどの首を切って、屋島の仮の内裏へ持ち込んだのが昨日、今日はここへ着いていると聞く。お前が行って、何とか言いくるめて連れて帰れ」伊勢三郎はかしこまって命を受け、旗を一本掲げるやいなや、わずか十六騎の勢で、急ぎ向かった。皆が白装束を身にまとっている。伊勢三郎は田内教能に行き合った。源氏の白旗と平家の赤旗が、二町*3ほど離れた場所で揺れている。伊勢三郎が「私は源氏の大将軍の九郎大夫判官・義経殿の家来で、伊勢三郎義盛という者でありますが、大将の田内左衛門教能殿に申し上げる事があってここまでやって参りました。戦をするつもりではありませんので、武装もしておりませんし、弓矢も持っておりません。どうかお通しください」と言うと、三千騎の兵士たちは中を開けてこれを通した。伊勢三郎は教能の馬に自分の馬の並べると言った。「既にお聞きになっているかもしれません。鎌倉殿の弟の九郎大夫判官・義経殿が、後白河法皇の命を受け、西国へ向かわれました。一昨日は阿波国の勝浦で、あなたの伯父の桜間介が討たれました。昨日は屋島で、内裏が焼き払われ、大臣・宗盛殿の父子は生け捕りにされ、能登殿は自害されました。その他の君達は討ち死に、または海に入られました。わずかに残った人々も、志度の浦で皆討たれました。あなたの父の阿波民部重能殿は降参なされて、その身をこの義能が預かっているのですが、『ああ、田内左衛門がこの事を少しも知らずに、明日にも戦で討たれてしまうとしたらいたわしい事だ』と、一晩中嘆いていらっしゃるのが余りに不憫なので、この事をお知らせしようと、ここまでやって来たのでございます。こうしてお知らせした上は、戦で討ち死にしようとも、降参して父親にもう一度会おうとも、どうするもこうするも、あなた次第でありますぞ」田内教能は世間に名の知れた勇士であったが、運に見放されたのであろう、「かねがね噂で聞いていた事に少しも違いはありません」と言うと、甲を脱ぎ、弓の弦をはずして従者に渡した。大将がこのようにした以上、三千騎の兵士たちも皆、同じように甲を脱ぎ弓の弦をはずした。わずか十六騎に連れられて、おめおめと降参したのである。「義盛の計略は、本当に素晴らしいものだ」と、義経も感心した。すぐに田内教能は武装を解かれて伊勢三郎に預けられた。「さて、あの教能の軍勢はどうするか」と義経が言うと、「遠国の者たちは、誰を誰と主君に決めているわけではありません。ただ世の中の乱れを鎮めて、国を治める人を主君と仰ぐでしょう」と言うので、「まったくその通りだろう」と、三千騎はすべて義経の軍勢に編入された。
 二月二十二日の午前八時頃、摂津国の渡辺にとどまっていた二百艘の船が、梶原景時を先頭にして、屋島の磯に着いた。「西国は皆、九郎大夫判官に攻め落とされた。今となっては何の役に立つ事があろうか。法会に間に合わない花、五月六日の菖蒲、喧嘩が終わった後の棒のようだな」と笑われるばかりだった。
 義経が都を発って後、住吉大明神の神主・長盛が、後白河法皇の御所を訪ねた。大蔵卿・泰経朝臣を介して「去る十六日の午前二時頃に、当社第三の神殿より鏑矢の音が出て、西を目指して飛んで行きました」と伝えると、法皇は非常に感心なさって、御剣を始めとする種々の神宝を大明神へ納められた。昔、神功皇后*4新羅を攻められた時、伊勢大神宮からの二つの猛々しい神霊が先導を務められた。二神は、船の先頭と後尾に立って、新羅を簡単に攻め落としたという。帰朝後、一神は摂津国の住吉郡にとどまられた。住吉大明神の事である。もう一神は信濃国諏訪郡にとどまられた。諏訪大明神がこれである。住吉の神は昔の征伐の事をお忘れにならずに、今回も朝敵である平家の追討に神威を示されるのだろうと、君主も臣下の人々も頼もしく思ったのだった。

*1:しどかっせん

*2:香川県大川郡志度

*3:一町は約109メートル

*4:じんぐう:仲哀天皇の后で、急死した天皇に替わって朝鮮に出兵したと記紀にある