徒然草を読む49

野ばら

第六十段

 真乗院*1に、盛親*2僧都という、仏教の知識に優れた高貴な僧がいた。芋頭*3というものを好み、よく食べていた。法談の座においても、大きな鉢に芋頭をうず高く盛ったものを膝元に置き、食べながら仏典を読み、講義を行った。病を患った際には、七日・十四日などと、治療だといってこもり、思うままにいい芋頭を選んで、殊に多く食べて、あらゆる病を治してきた。他人に食べさせる事はない。ただ自分だけで食べていた。極めて生活が苦しかった時、僧都の師匠が死に際に、銭二百貫と僧坊一つを僧都に譲ったのだが、僧都は僧坊を百貫で売り払い、計三百貫を芋頭のための銭と定め、京にいる人に預けて置き、十貫づつ取り寄せて、芋頭を毎日食べ続けるうちに、それらの銭は他の事に用いる事のないまま、すべてがなくなってしまった。「三百貫という銭を貧しいその身に得て、このような使い方をするとは、本当に世にも珍しい道心者である」と、人々は言った。
 この僧都がある法師を見て、「白うるり」というあだ名をつけた事があった。「それは何の事だ」と誰かが尋ねると、「そのようなものは私も知らない。もしあったとしたら、この僧の顔に似ているであろう」と言ったという。
 この僧都は容貌に優れ、力が強く、大食であり、書が上手く、仏学に通じ、弁舌な上に、他の人に勝る宗派内の高僧であったので、真乗院中で重んじられていたが、世の中を軽んじている変わり者であるので、何事も思うままに振る舞い、他人に従うという事はほとんどなかった。法会などに出席して馳走の膳につく時も、出席者全員の前に膳が渡るのを待たずに、自分の前に膳が置かれると、さっさと食べ始め、帰りたくなると、立ち上がって出て行った。戒律で定められている食事も、それ以外の食事も、他の人のように時間を定めて食べる事はない。自分が食べたい時であれば、夜中でも明け方でも食べて、眠たければ、昼でも部屋に閉じこもり、どれほど重大な事が起こっても、他人の言う事を聞こうとはしない。また目が覚めていれば、幾晩も寝ようとはせず、心から雑念を追い払って詩歌を吟じながら歩き回るなど、尋常ではない様子であったが、人に嫌われる事はなく、すべて許されていた。僧都の徳がこの上なく優れていたからであろうか。

*1:しんじょういん:仁和寺に属する寺院の一つ

*2:じょうしん

*3:里芋の親芋