徒然草を読む146

第百七十九段

 宋へ渡った僧、道眼*1上人は、一切経*2を持ち帰って、六波羅近くのやけ野という所に安置すると、殊に首楞厳経*3を講じて、そこを那蘭陀寺*4と名付けた。
 その上人は、「那蘭陀寺は、大門が北向きである事が、太宰師*5の説として言い伝えられているが*6、西域伝*7・法顕伝*8などにもこのような説は見られない。太宰師はどれ程の才学をもって言ったのだろうか、はっきりしない。唐土西明寺*9の大門はもちろん北向きである*10」と言っていた。

第百八十段

 「さぎちょう」とは、正月に毬を打って遊ぶのに用いた杖*11を、真言*12から神泉苑*13へ運んで、焼き上げる事である。「法成就の池にこそ」というはやし詞*14に言われる池が、この神泉苑の池である。

*1:どうげん

*2:いっさいきょう:大蔵経、経・律・論の三蔵を含む仏教聖典の総称

*3:しゅりょうごんぎょう:十巻から成る

*4:ならんだじ

*5:大江匡房(まさふさ)

*6:古事談」巻五、「十訓抄」巻一にこのような説が見られる

*7:大唐西域記:唐の僧・玄奘のインド・中央アジアの旅行見聞録

*8:仏国記:東晋の僧・法顕の西域・インドの旅行見聞録

*9:さいみょうじ:長安に唐の高宗が玄奘のために、インドの祇園精舎を模して建てた寺

*10:根拠は未詳

*11:毬杖:ぎっちょう

*12:しんごんいん:大内裏内にあった朝廷の修法の道場

*13:しんぜんいん:平安京造営の際に、大内裏の南に造られた庭園

*14:弘法大師が守敏僧都との降雨争いに勝利した事により、弘法の徳を讃えたはやし詞