第百七十九段
宋へ渡った僧、道眼*1上人は、一切経*2を持ち帰って、六波羅近くのやけ野という所に安置すると、殊に首楞厳経*3を講じて、そこを那蘭陀寺*4と名付けた。
その上人は、「那蘭陀寺は、大門が北向きである事が、太宰師*5の説として言い伝えられているが*6、西域伝*7・法顕伝*8などにもこのような説は見られない。太宰師はどれ程の才学をもって言ったのだろうか、はっきりしない。唐土の西明寺*9の大門はもちろん北向きである*10」と言っていた。
第百八十段
「さぎちょう」とは、正月に毬を打って遊ぶのに用いた杖*11を、真言院*12から神泉苑*13へ運んで、焼き上げる事である。「法成就の池にこそ」というはやし詞*14に言われる池が、この神泉苑の池である。