徒然草を読む128

第百五十六段

 大臣に任ぜられた人が披露のために開く祝宴は、しかるべき所を借り受けて行うのが常である。宇治左大臣殿*1は、東三条殿*2にてこの祝宴を行った。近衛天皇の内裏であったのだが、願い出でがあったため、天皇は他所へ行幸になった*3。これという程の縁がなくとも、女院の御殿などを借り受けるというのが、昔からの慣習である。

*1:藤原頼長

*2:とうさんじょうどの:二条大路の南、町口小路の西にあった邸宅

*3:実際に東三条殿が近衛天皇の内裏であったのは1149年12月から約一ヶ月間、この間に頼長の大臣就任の祝宴はなかったので、これは兼好の誤りとされている