Great Blue Heron

 暑い日が続く。しばらく雨も降っていない。
 雨の情景を思い浮かべて涼むことにする。すぐさま、次々と非常に馴染みのある雨の場面が頭の中に浮かび上がった。
 しとしとと降る細かい雨、長靴で歩く自分、濡れた木の葉の匂い。懐かしい風景だ。雨に包まれる安心感を思い出した。
 だが考えてみると、私は雨が好きではなかった。どちらかと言うと、雨の日はふさぎ込んでしまう方だ。ところが頭に浮かぶ雨の風景はどれも、私を心地よくさせる。これは一体どこから来た記憶だろうと考えたとき、すぐに分かった。子供のころ繰り返し読んだ本の中の風景だ。
 佐藤さとるの物語には雨の場面が数多く現れる。私の記憶にあった雨の風景は「不思議なおばあさん*1」「こおろぎとお客さま*2」などの物語からのものだった。
 雨を心地よく感じるという自分にはない感覚を思ったとき、きっと氏は雨が好きなのだ、ようやくそう気付いた。

昨晩寝床で、佐藤さとるの随筆集から「ペンネームの話*3」を読んだ。これまで考えた筆名に関する話である。その中に、佐藤さとるは本名の「暁」を「さとる」と読んでもらえることが少なく、「ギョウ、ギョウさん」などと呼ばれることが多かったというくだりがある。それに続く文を引用する。

 それで、いつのことだったかもう思い出せないのだが、ふっと『御雨(ぎょう)』という当字が頭に浮かんだ。昔から雨降りの日が妙に好きだったこともあって、「雨を御す」という意味合いが気に入った。以後下手な俳句をひねるときはこれを俳号として使っている。

「ああ、やはり」と嬉しかった。


 氏には他にも、海や水が登場する短編がいくつもある。「龍宮の水がめ*4」「水のトンネル*5」「海が消える*6」など。こちらには持ってきていないため、手にとって、物語からそこはかとなく染み出る涼しさを感じることができないのが残念だ。