父のこと

野花

 先日、実家の母が「荷物を送るから何かほしいものはないか」と言うので、父さえよければ中野孝次の「清貧の思想」を入れてほしいのだが、と頼んでおいた。少し前に「清貧」について書いた時、私が両親のもとを離れるか離れないかの頃に、父の本棚で見かけた青い本の背表紙に「清貧」の文字があったことを思い出したからだった。
 その後、父と電話で話した。父は快諾してくれた。馬場あき子の解説による「風姿花伝 (古典を読む (17))」も読むといい、と一緒に送ってくれることになった。「やはり、父さんだ」と、嬉しかった。
 小学生の私に父が、頬杖をつくような弥勒菩薩の大きな写真を大事そうに見せてくれたことは今も覚えている。「母さんに似てるだろう」と、ちょっと嬉しそうに言ったのも忘れてはいない。
 ホフマンの「黄金の壺 (岩波文庫)」を面白いからとくれたのも父だし、ドレの版画がすばらしいダンテの「神曲」を、高価なものにもかかわらず、読むといいと買ってくれたのも父だ。父が好むものに、家族の中では唯一、私が同じように興味を示すことを父はよくわかっていたのだろう。
 父は仕事の合間に「源氏物語」や「伊勢物語」の勉強会に出席したり、新聞に短歌を投稿したりしていた。時に、父の歌が活字になることもあった。母は知人の手前、恥ずかしくて仕方がなかったようだが、父が意に介している風はなかった。
 今はぽつぽつ、童話を書いていると言っていた。一つだけ読ませてくれたことがある。父が子供だった頃の話しは何度も聞いたはずなのに、幼い父が見た風景を初めてこの目で見たような気がした。