徒然草を読む166

第二百十一段

 すべての事は当てにしてはならない。愚かな人は、深く物事を当てにするが故に、恨みや怒りが起こる。権勢があるからといって、それを当てにしてはならない。まず滅びるのは強い者だ。財産が多いからといって、それを当てにしてはならない。わずかな時間で失われ易いのが財だ。才能があるからといって、それを当てにしてはならない。孔子でさえも時勢に乗じて用いられはしなかった。人徳があるからといって、それを当てにしてはならない。顔回でも不幸にして短命であった。君主の寵愛をも当てにしてはならない。たちまちに罪を負って成敗される事もある。家来が忠実に従っているからといって、それらを当てにしてはならない。背いて逃げる事もある。他人の好意をも当てにしてはならない。そのようなものは必ず変化する。約束をも当てにしてはならない。信用できる事というのは少ないものだ。
 自分の身の上も、他人も当てにしなければ、上手く行った時は喜び、上手く行かなかった時は恨む事もない。左右が広ければ、妨げるものはなく、前後が離れていれば、行き詰る事がない。狭い時はひしゃげたり砕けたりする。心を用いる事が少なく余裕がない時は、他人に逆らい、他人と争って自分が傷つく。心がゆったりとしていて柔らかな時は、自分の身の一本の毛も損なう事がない。
 人とは天地の間の霊妙なものである。天地には限りがない。人の性とて、何の違いがあるだろう。心が緩やかで行き詰っていない時は、喜びや悲しみがこれを妨げる事はないので、他人のために煩う事などない。