徒然草を読む104

百二十九段

 顔回*1は、普段の心掛けとして、他人に苦労を掛ける事のないようにと言っている*2。他人を苦しめ、虐げるという事があるが、卑賤な民の意志でさえも決して奪ってはならない。また、幼い子の機嫌を取ったり、おどしたり、からかったりして面白がる事がある。大人にとっては、本当の事ではないので、たいした事はないと思う事でも、幼い心にとっては、身にしみて恐ろしく、恥ずかしく、ひどいと思う気持ちは、実に切実である。よってこのような幼い子を悩ませて面白がる心というのは、まったく慈悲の心ではない。大体、大人が喜び、悲しみ、楽しんでいるのも、すべて仮の事物であるのに、実在しているかのようなその事物に執着しているではないか。
 身を傷つけるよりも、心を傷つける事の方が、ずっと他人を害する。病にかかるのも、心が原因である事が多い。外から来る病は少ない。薬を飲んで汗を出そうとしても、効果がない事はあるが、一旦恥じ、恐れる事があれば、必ず汗が流れるのは、心の仕業だという事を知っておくべきである。凌雲台という宮殿の高楼の額を書いて後、恐怖のために白髪となってしまった人の例もある*3

*1:がんかい:春秋時代・魯の人で、孔子の第一弟子

*2:「顔淵曰く、願はくは、善にほこること無く、労を施すこと無けん」論語・公冶長

*3:三国時代・魏の能書家・葦誕(いたん)が明帝の命により行ったとされる