第二百四段
罪人を笞*1で打つ時は、罪人は拷器*2に縛り付けるのである。拷器に縛り付ける作法は、今では廃れてしまい、知っている人もいないようだ。
第二百五段
比叡山で、大師*3の霊威を請い迎え、起請文を記すというのは、慈恵*4僧正が始められた事である。起請文というものは、法律の学問を修める家筋においては何の取り扱いもない。古の聖天子の御治世*5には、起請文に基づいて行われる政治というのはなかったのだが、近年になって、この方法が世の中に広まった。
また、公の法律や政令では、水と火については穢れを認めていない。ただし、入れ物には穢れがあるはずである。