巻第十一 那須与一*1
そうしているうちに、平家に背いて源氏の進撃を待ち構えていた阿波・讃岐の者たちが、潜伏していた峰や洞から十数騎、二十騎と、集まり始めたので、義経の軍勢は程なくして三百騎を越えた。「今日は日も暮れた。勝負は明日に持ち越そう」と、引き退こうとした時、沖の方から普通以上に飾り立てられた小舟が一艘、渚へ向かって来るのが見えた。岸まで七、八段*2ほどにのところで、舟は横向きになり止った。「一体、何事だ」と見ていると、舟の中から柳がさね*3の五つ衣*4を着て、紅の袴をはいた年の頃は十八、九のとても淑やかで優美な女房が現れ、地紙を赤い漆で塗りつぶした上に、金箔で日の形を押した扇を、舟のせがい*5に立てた串に挟むと、岸に向かって手招きした。義経は後藤兵衛実基を呼んで尋ねた。「あれは、どういう事だ」「射よという事でしょう。ただし大将軍が矢面に進んで、絶世の美女をご覧になろうとしたなら、腕達者な者に狙わせて射落とそうという計略かと思われます。そうでありましても、扇を射させるべきであるでしょう」「確実に射当てる事ができる人物が、味方に誰かいるか」「たくさんいる名手の中でも、下野国の住人・那須太郎資高*6の子である与一宗高こそ、小柄ではありますが、優れた腕前を持っております」「どのような証拠があるか」「飛んでいる鳥を射落とす事を競い合えば、三つに二つは必ず射落とす者でございます」「それならば、呼べ」と、那須与一宗高が呼ばれた。
この時、与一は二十歳くらいであった。全体が濃紺で前襟と袖先のところだけが赤地の錦で仕立ててある衣に、萌黄の糸で綴った鎧を着て、鞘の金具が銀作りになっている太刀を帯び、この日の戦で射残した白黒の斑のある鷲の羽ではいだ矢を少数、頭より高く出るようにして背負っている。そこには、黒白の斑がぼかしになっている羽と熊鷹の羽とを交互にはぎ合わせ、鹿の角を波状の文様に削り上げた鏑矢が添えてあった。藤つるを隙間なく巻きつけた弓を脇に挟み、脱いだ甲を高紐*7に掛けると、義経の前にかしこまった。「どうだ宗高、あの扇の真ん中を射て、平家に見せてやれ」与一はかしこまって言った。「射遂げる事ができるかは確かではございません。射損ねたならば、永遠に語られる源氏の恥になりましょう。確実にやり遂げる事ができる人物に命じられてはいかがでしょう」義経は声を荒げると「鎌倉を発って西国へ赴こうとする人々は、義経の命に背いてはならない。少しでも異存のある人は、さっさとここから帰るがいい」と言った。再び辞退してはまずいと思ったのだろう、与一は「はずれるかどうかはわかりませんが、ご命令でありますので、やってみようと思います」と、義経の前から立ち去った。与一は太くたくましい黒馬に、小さな房のついた組紐を掛け、宿り木の文様を象眼した鞍を置いて乗っている。弓を取り直し、手綱を繰ると、波打ち際へ向かって馬を歩かせた。はるか後方からこれを見ていた味方の兵士たちが、「この若者は、きっとやり遂げるに違いないと思われます」と言うので、義経も心強い思いで見守った。
矢を射るには少し距離が遠かったので、一段ほど海へ馬を入れたが、それでもなお扇までの距離は七段ほどもあるように見える。時は二月十八日の午後六時頃であるのに加えて、ちょうど北風が強く、磯を打つ波も高い。舟が波の上下に合わせて漂うので、扇も挟まれた串には定まらずに風にはためいている。沖では平家が船を一面に並べて見物していた。陸では源氏が馬の首を並べて見ている。どちらにしても、晴れの舞台であることは間違いない。与一は目をふさいで「南無八幡大菩薩、我が故郷・下野国の神である日光権現*8・宇都宮*9・那須の湯泉大明神*10、願わくはあの扇の真ん中を射させてください。これを射損じたならば、弓を折り自害をして、人に再び顔を合わせるつもりはありません。もう一度、生国へ私を迎えようと思われるのならば、この矢をはずささないでください」と心の中で祈った。目を開くと、風は少し弱り、扇も射易そうになっている。与一は鏑矢を取って弓につがうと、よく引いてさっと放った。小柄な兵士にふさわしく、こぶし十二個と指三本分の長さの矢ではあるが、弦の張り具合はかなり強いため、矢は浦に響き渡るほどのうなり声を上げながら、間違える事なく扇の束ね目から一寸*11ほどの所を、ふつと射抜いたのだった。鏑矢はそのまま海に入り、扇は空へ舞い上がった。少しの間、空ではためき、春風にもまれて、海へとさっと散った。輝く夕日の中、赤地に金の日を押した扇が、白波の上を漂い、浮いたり沈んだりしながら揺れている。沖では平家が、船の端をたたいて感嘆を表した。陸では源氏が、えびら*12をたたいてどよめいた。