平家物語を読む166

巻第十一 弓流*1

 あまりに面白く、感嘆の気持ちを抑え切れなかったようで、船の中から、五十歳ほどの黒革で綴った鎧を着て白柄の長刀を持った男が現れ、扇を立てていた場所で舞い始めた。伊勢三郎義盛那須与一の後ろへ馬で歩み寄り、「ご命令だ、あれを射よ」と言ったので、今度は征矢を取り出して弓にしっかりとつがえ、よく引いて男の首の骨をふつと射た。男は船底に逆さに倒れ込んだ。平家の方は静まり返った。源氏の方はまた、えびらをたたいてどよめいた。「見事に射たものだ」と言う者もいれば、「ひどい事を」と言う者もいた。
 平家はこれを不本意に思ったのだろう、楯を持った者、弓を持った者、長刀を持った者の三人が渚に並び、楯を突いて「敵よ攻めて来い」と挑発した。義経が「馬術に優れた若者たちよ、すぐに行ってあれを蹴散らせ」と言うと、武蔵国の住人・三穂屋*2四郎と同藤七に同十郎、上野国住人・丹生四郎、信濃国住人・木曾中次の五騎が、うめきながら馬を駆けさせた。真っ先に進んだ三穂屋十郎の馬の左の胸の辺りを、楯の陰から、鷲の黒い羽ではいだ漆塗りの大きな矢がずばっと射た。矢は矢筈が隠れるほど食い込んだ。屏風が倒れるように馬がどんと倒れたので、三穂屋は右の足をさっとはずして左側へ降り立ち、すぐに太刀を抜いた。楯の陰から、敵が大長刀を振り下ろしてくる。三穂屋十郎は小太刀では敵わないと思ったのだろう、身をかがめて逃げ出したところ、敵はすぐに追いかけてきた。長刀でなぎ倒すのかと思って見ていると、そうではなく、長刀は左の脇に挟み、右手を伸ばして三穂屋十郎の甲のしころ*3をつかもうとしている。三穂屋はつかまれまいとして逃げる。敵は三度つかみかかって、四度目に三穂屋のしころをむんずとつかんだ。しばらくは耐えているように見えた三穂屋だが、しころを甲からぶつっと引き切ると逃げた。残りの四騎は、馬が射られる事を警戒して、三穂屋を助けるために駆けつける事はせずに、見物していたのである。三穂屋十郎は、味方の馬の陰に逃げ込んで息を休めた。敵は追っても来ないで、長刀を杖につき、三穂屋の甲のしころを差し上げると、大声で「日頃から耳にしているだろうが、今日は目に焼きつけよ。これこそ都の若者たちが噂しているという上総の悪七兵衛・景清*4よ」と名乗り捨てて、帰って行った。
 平家はこれにより落ち着きを取り戻して、「悪兵衛を討たせるな。皆の者、続け」と、再び二百人ほどが渚に向かい、楯を隙間なく並べると「敵よ攻めて来い」と挑発した。義経はこれを見て「けしからぬ事だ」と、後藤兵衛父子と金子兄弟を先頭に、佐藤四郎兵衛と伊勢三郎をそれぞれ左手と右手に、田代冠者を後ろに立てて、八十騎ほどでうめき叫んで突進した。すると、大部分が徒歩の武者であった平家の兵士たちは、馬に体当たりされないようにと、皆が退き船へ乗り込んだ。楯は占いの木片を散らしたように蹴散らされた。源氏の兵士たちは、勢いに乗って、馬の腹が浸かるほどまで海に入り、攻め戦った。海に深く馬を入れて戦っている義経を引っ掛けようと、船の中から伸びた熊手が義経の甲のしころの辺りをからりからりと二、三度探っている。味方の兵士たちがこれを太刀や長刀で払いのけようとしていたところ、どうした訳だろうか、義経の弓が引っ掛けられて落ちてしまった。義経は前屈みになって鞭で何とか弓を引き寄せて取ろうとするので、兵士たちが「ともかく、お捨てになってください」と言ったが、ついには引き上げて、笑いながら戻ってきた。老巧な者たちが非難の色を浮かべて「忌々しい事でありますな。たとえ千疋・万疋*5の価値がある弓だとしても、どうしてお命に代えられるというのでしょう」と言うと、義経は「弓が惜しくて取ったのならばそうではあるが。義経の弓と言えば、二人がかりで張るものか、三人がかりで張るものだ。叔父の為朝*6のように五人がかりで張る弓ならば、わざとでも落として拾ったりはしない。貧弱な弓を敵が拾い上げて、『これこそ源氏の大将・九郎義経の弓だ』と、嘲笑されるのが悔しいので、命に代えてまで取ったまでだ」と言ったので、人々は皆、感心した。
 そうしているうちに日が暮れた。義経の軍勢は屋島から退き、牟礼*7・高松の中の野山に陣を取った。源氏の兵士たちは、この三日間、横になって休んではいない。一昨日に渡辺・福島を出たが、その夜は大波に揺られて眠る事もできなかった。昨日は阿波国の勝浦で戦い、夜を徹して山を越え、今日は一日中戦って過ごしたのである。皆、疲れ果てていたので、甲を枕にしたり、鎧の袖やえびらなどを枕にしたりして、ぐっすりと眠り込んだ。そんな中でも、義経伊勢三郎は寝なかった。義経は高い場所に上がって、敵が攻め寄せて来ないかと偵察をし、伊勢三郎は窪んだ所に隠れて、敵が攻めて来たらまず馬の腹を射ようと待ち構えていた。平家の方では、能登守を大将軍にして総勢五百騎ほどが夜討ちをしようと準備をしていたが、越中次郎兵衛盛次と海老次郎盛方とが先陣を争っているうちに、その夜は虚しく明けてしまった。夜討ちにされていたら、源氏が無事であったとは思えない。夜のうちに攻め寄せなかった事が、平家の運の尽きであった。

*1:ゆみながし

*2:みをのや:「三尾谷」、「水尾谷」などとも書く

*3:甲の下部に垂れて首を覆う防具

*4:かげきよ:藤原氏

*5:一疋は十文で

*6:ためとも:義朝の弟

*7:香川県木田郡牟礼町