平家物語を読む48

松

巻第三 灯炉之沙汰*1

 押しなべてこの大臣・重盛公は現世での罪を絶ち、後世のために善を積もうとする志の深い人であったので、来世での浮沈*2を心配し、東山の麓の六八弘誓*3になぞらえて、柱と柱の間が四十八間ある寺院を建て、一間に一つづつ、合計で四十八の灯篭を掛けた。それらの灯篭は九段階あるという蓮華の台の前に光り輝き、その輝きは鳳凰を彫刻した鏡を更に磨いたようで、まるで極楽浄土のすぐそばにいるかと思う程であった。毎月十四日、十五日と定めて、平家及び他家の中から器量がよく、若さがみなぎる女房たちをたくさん集めた。時刻を定めて、一間に六人づつ、四十八間で二百八十八人置き、念仏を唱えさせ、その二日間は一心不乱に仏の名を唱える声が絶えなかった。念仏信仰する衆生の臨終には阿弥陀仏が極楽浄土への迎えに来臨するという悲願に、仏も仮の姿を持ってこの世に現れ、衆生を照らして見捨てる事なく浄土に引き取るという阿弥陀仏の慈悲の光が、重盛公を照らしているようだった。十五日の日中は祈願の達成される日として、多くの人が集まり念仏を唱えた。行列を作り経を唱えながら巡り歩く法儀に、重盛公は自ら参加し、西方に向かって「南無安養教主弥陀善逝、三界六道の衆生をあまねく迷いから解放し、悟りを開かせよ」と、修めた功徳を巡らし、極楽浄土に往生したいという願いを立てると、これを見ていた人々には慈悲の心が生まれ、聞いていた人々は感激して涙を流した。このような事があったので、人々はこの大臣・重盛公を灯篭大臣と呼ぶようになった。

*1:とろのさた

*2:悪道に沈むか、浄土に往生するか

*3:ろくはちぐぜい:阿弥陀如来が一切衆生を救うために立てたという四十八の誓願