平家物語を読む93

巻第六 慈心房*1

 古老によると、清盛公はまったくの悪人に見えるが、本当のところは慈恵僧正*2の生まれ変わりだという。摂津国清澄寺*3という山寺があり、この寺に元は比叡山の学問僧で長い間、法華経を深く信ずる慈心房尊恵という僧がいた。仏果を求めて比叡山を離れ、清澄寺で月日を送る慈心房には、多くの人々が帰依していた。承安二年*4十二月二十二日の夜、慈心房が肘掛けにもたれて法華経を読んでいると、午前二時頃、夢なのか現実なのか、白い狩衣に立烏帽子をかぶり、脚半をつけわらじを履いた五十歳ほどの男が、書状を持って現れた。慈心房が「お前はどこから来たのだ」と聞くと、「閻魔王宮からの使者です。王の言葉を伝える公文書を持ってきました」と言って、書状を慈心房に渡した。これを開いて見ると、
人間界日本国、摂津国清澄寺の慈心房尊恵に請う。来る二十六日に閻魔羅城の大極殿にて、十万人の僧が十万部の法華経の要所を読誦する。ついては参加して勤めるように。閻魔王による御教書は以上の通りである。
 承安二年十二月二十二日     閻魔の庁
と書かれている。拒否できる事ではないので、異存なく承諾する旨を書いた書状を渡すと、そこで目が覚めた。まったく死ぬような思いがして、慈心房は清澄寺の住職・光影房*5にこの事を話した。皆が、不思議な事だと思った。口では仏菩薩の名を唱え、心では阿弥陀仏如来に極楽浄土に迎えてほしいという願いを念じているうちに、やがて二十五日の夜になった。慈心房は常の通り、本尊の前で肘掛けに寄りかかり念仏を読経する。午前零時になる頃、余りに眠くなったので住房に戻って横になった。午前二時頃、また先日のように白い狩衣を着た男が二人現れ、「すぐに来てください」と慈心房を急かす。閻魔王の命を辞退しようとすればどうなったものかわからない、だが向かおうとすると今度は三衣*6と托鉢用の鉢がない。このような心配をしていると、自然に袈裟が身体に巻きついてきて、金の鉢が天から下りてきた。寺の前では、童子が二人、おつきの僧が二人、身分の低い僧が十人、七宝で飾った大きな車と共に待っていた。慈心房は非常にありがたく思い、すぐに車に乗り込んだ。一行は西北の方角に向かって空を駆け、程なくして閻魔王宮へと着いた。
 王宮は周囲に城壁が延々とめぐらされ、その中は広々としていた。中に七宝で飾られた大極殿がある。その姿は大きく空にそびえ立ち、凡人には誉めきれないほど素晴らしい。その日の法会が終わり、招かれた僧たちが皆、帰ろうとしている時、南の中門に立った慈心房がふと大極殿を見渡すと、閻魔王の前に官人や下役人がかしこまっていた。慈心房は「めったに来る事のできない参詣である。このついでに、後生の事を尋ねてみよう」と、大極殿へ取って返した。二人の童子が天蓋をさし掛け、二人のおつきの僧が箱を持ち、十人の身分の低い僧が列となって近付いてくるので、閻魔王・官人・下役人が皆、殿上から下りて慈心房を出迎えた。慈心房の身辺の世話をしている二人の童子多聞天持国天*7の姿となり、二人のおつきの僧は薬王菩薩・勇施菩薩*8に変わり、十人の下僧は十羅刹女*9である事がわかった。閻魔王が「他の僧たちは皆、帰られた。あなたはどうしてここへ来たのか」と問う。「後生の住みかを尋ねるためです」「人が極楽浄土に往生できるかできないかは、その人の信心にいかんにある」そして閻魔王は官人に「この方の現世で行った善行を書き留めた文書を入れた箱が、南方の宝蔵にある。取り出して、一生の行い、他人を教化した事を記した文をお見せしろ」と命じた。官人は南方の宝蔵にて文箱を一つ取って戻ると、すぐにふたを開けてその文書をすべて読み上げた。慈心房が感激の余り声を上げて泣き、「どうかこの私をあわれんで、生死の苦がある人間界から離れる方法を教え、大きな悟りを得るためのまっすぐな道を示してください」と言うと、閻魔王は情けをかけて経文中のいくつかの詩句を唱えた。官人がこれらを一つ一つ、筆で書きとめた。
妻子・王位・財宝・従者も、死後は一つとして相親しむ事はできない
生前に犯した罪業だけが常にまとわり、我が身を際限なく責め苦しめる
閻魔王はこの文書を慈心房に授けた。非常にありがたくこれを頂戴した慈心房が「日本の平清盛公と言う人は、摂津国和田岬*10を選んで、十町四方の地域に家屋を建て並べ、今日の十万人の僧による法会のように、法華経を深く信ずる者たちを多く招き、一面に僧房ごと席についた僧が、説法・読経を丁寧に行うという法会を行われました」と言うと、閻魔王は大いに喜び感激して「その入道は普通の人間ではなく、慈恵僧正の化身である。天台の仏法を大切に守護し保持するために、日本に再び生まれたのだ。そのために、私は彼を礼賛する文を毎日三度、唱えている。その文を彼に渡しなさい」と言った。
慈恵大僧正を敬って礼拝申し上げる 大僧正は天台仏教の擁護者であり、最初は清盛という将軍の身として現れ、悪業の恐ろしい事を身をもって示し、再び衆生に利益を与えたのである
このように書かれた文書を受け取って、慈心房は大極殿を後にした。南方の中門を出ると、官兵たち十人が門の外で待っており、慈心房の乗った車の前後につき従った。また空を駆けて戻り、夢を見ているような気持ちがして目が覚めた。その後、西八条を訪れ、清盛公にこの文書を渡すと、清盛公は非常に喜び、慈心房を様々にもてなした。たくさんの贈り物も与えられ、褒美として律師*11になったと聞く。こうして、人々は清盛公が慈恵僧正の生まれ変わりだと知るようになった。

*1:じしんぼう

*2:じえ:第18代天台座主・良源のことで、学才深く、比叡山中興の祖と呼ばれた

*3:兵庫県宝塚市にある真言宗の寺

*4:1172年

*5:こうようぼう

*6:僧が着る三種の袈裟

*7:四天王のうちの二人

*8:共に、法華経・陀羅尼品の持経者を擁護するとされている

*9:らせつにょ:法華経・陀羅尼品に見える十人の魔女で、持経者を擁護するとされる

*10:現神戸市兵庫区の南に突き出た岬

*11:僧官の一つで、僧都に次ぐもの