グスコーブドリ

一年くらい前のこと、筑摩書房から宮沢賢治生誕120年を記念して宮沢賢治コレクションセット(全10巻)が出版されていたことを知り、思い切って全巻まとめて購入した。生きてきた時代は少し違うが、幼少期を賢治と同じ東北で過ごしたせいなのだろうか、物語のなかで自然や気候の厳しさに関する描写に触れると不思議なくらいシンパシーを感じる。昭和55年の夏は少しも気温が上がらず、ずっと寒かったのを今でも覚えている。最近はめっきり聞かなくなったやませ(偏東風)の影響で、その年の東北は大冷害に見舞われた。

話は戻るが、件のコレクションセットは折に触れて手に取り、そのとき目に入った物語や散文を好き勝手に読んでいる。グスコーブドリの伝記は子供の頃に一度は読んだはずだった。その頃は、森での生活という自然の世界から、農業、そして火山局での仕事という現実的な世界への変化についていけなかったと記憶している。当時の私にはどうやら「物語」というものの理想があって、ブドリの人生は私の理想の物語から外れたところにいたのだろう。

今日、何十年かぶりにグスコーブドリの伝記を読んで、ブドリの人生が自分の人生とよく似ていることに気付いた。帰国してからの私は、とても仕事を選べるような状況ではなく、どんな仕事でも仕事をさせてもらえること、それが誰かの役に立つことが嬉しかった。そしてそのときそのときの縁で出会った人たち(クーボー大博士やペンネン老技師)に助けられて、火山局のブドリのように今はとある専門的な職に就いている。

私は、自分の人生がいつのまにか理想の物語からはかけ離れたものになっていたことを知り、一層、ブドリを身近に感じた。