平家物語を読む154

ハナアブ

巻第十 横笛

 さて、小松の三位中将・維盛卿は、その身は屋島にあるものの、心だけは何度も都を訪れていた。故郷に残してきた北の方、幼い子たちの面影が、いつも頭から離れる事がなかったので、「生きていても仕方のない我が身である」と、三月十五日の明け方、こっそり屋島を脱け出し、与三兵衛重景*1、石童丸という少年、そして舟を漕ぐ心得がある武里という舎人の三人を連れて、阿波国の浜から舟に乗り、鳴門海峡を通って、紀伊路へ赴いたのだった。和歌*2・吹上*3衣通姫*4が神と祭られる玉津島の明神*5日前宮と国懸宮*6の前を過ぎて、紀伊の河口*7に着いた。「ここから山伝いに都へ向かい、恋しい人々にもう一度会いたいと思っても、本三位中将・重衡卿が生け捕りにされて大路を引き回され、都と鎌倉の両方に恥をさらしただけでも悔しいというのに、私までも捕らえられて、死んだ父の名を辱める事も心苦しい」と、心は何度も都へ向おうとしたが、どうにかその気持ちを押し留めて、高野山*8に向ったのである。
 高野山には年来、見知っている高徳の僧がいた。三条の斎藤左衛門大夫・藤原以頼*9の子で、斎藤滝口時頼という元は小松の故重盛公に仕える侍であったが、十三の年、滝口*10の武士に任ぜられた。建礼門院に仕える下級の女官に「横笛」という女がいて、時頼はこれを深く愛していた。この事を伝え聞いた父親が「世に時めく人の女婿にして、宮仕えなども楽にさせてやろうと思っていたのに、世に認められていない身分の低い者に思いを寄せているとは」と強くいさめると、滝口時頼は「神仙と言われた西王母*11という人でも、今はもう生きている訳ではありません。東方朔*12という神仙も、今はその名を聞くばかりで見る事はできません。老いた者が先に死に、幼い者が後に残るとは限らないこの世の中は、石を打ち合わせた時に出る火花のように短いものです。たとえ長命といえども、七十、八十を過ぎる事はないでしょう。その中で身が盛んであるのは、わずか二十年ほどです。夢まぼろしの世の中で、心に染まない醜い女を一時でも妻としたとして何の甲斐があるというのでしょうか。思いを寄せる者と連れ添おうとすれば、父の命に背く事になります。これは仏道発心のいい機縁です。浮世を厭い、誠の道に入るに越した事はありません」と、十九の年に髪を切って、嵯峨の往生院*13に入り、それからはひたすら修行を行った。これを伝え聞いた横笛は「私を見捨てるのはともかくとして、髪を切って仏門に入ってしまうとは恨めしい。たとえ世の中に背を向けるとしても、どうしてそのように知らせてくれないのでしょう。あの人がどんなに強情な人であったとしても、尋ねて恨み言の一つも言おう」と思い、ある日の夕暮れに都を出て、嵯峨の方へさまよい歩いていった。季節は二月の十日頃だったので、梅津の里*14に吹く春風が、どこからともなく運んでくる花の香りに心が引かれた。大井川*15から見える月は霞がかかってぼんやりとしていた。並々ではない思慕の情は、他でもない時頼によるものである。往生院とは聞いていたが、はっきりどの坊かを横笛は知らなかったので、ここに足を止め、あそこに佇み、尋ねあぐんでいるその様子は痛ましいものであった。と、荒れた僧坊から経文を唱える声が聞こえてきた。滝口入道の声とわかった横笛は「とうとう私はここまで尋ねて参りました。お姿が変わっていらっしゃるとしても、もう一度お会いしたいのです」と、連れてきた女に滝口入道への伝言を託した。これを聞いて、滝口入道は動揺した。障子の隙間から覗いてみると、本当に尋ねあぐんでいる横笛の姿があった。この様子が何とも不憫で、どれほど仏道修行の心が堅固な者でも、心が動かない者はいなかったに違いない。だが、滝口入道はすぐに人を行かせると、「ここにはそのような人はいない。坊を間違っているのではないか」と、ついに会わずに帰してしまった。横笛は情けなく、恨めしかったが、力なく涙を押さえて帰途についた。その後、滝口入道は、同じ僧坊に住んでいる僧に会って「ここも非常に静かで、念仏の妨げはありませんが、不本意ながら別れた女に、ここに住んでいる所を見られてしまいました。一度は気丈に振舞いましたが、またもし尋ねてきたならば、気を強く持つ自信がありません。暇をいただきます」と言うと、嵯峨を出て高野山へ登り、清浄心院*16に入った。横笛も剃髪したという噂が耳に入ると、滝口入道は一首の歌を送った。
   そるまではうらみしかどもあづさ弓まことの道にいるぞうれしき*17
横笛からの返事にはこうあった。
   そるとてもなにかうらみむあづさ弓ひきとゞむべきこゝろならねば*18
横笛はその思慕の情が積み重なったためだろうか、奈良の法花寺*19に入ったのだが、少しもしないうちに死んでしまった。時頼はこの事を伝え聞き、益々深く修行を行うようになるうちに、父親も勘当を許すに至った。親しい者たちも、皆が滝口入道を信頼して「高野の聖」と呼ぶようになった。
 三位中将・維盛卿が高野山にこの滝口入道を訪ねてみると、都にいた頃は狩衣に立烏帽子を着て、襟元を整え、髪を撫でつけ、華やかな男であったのが、出家後に初めて会う今は、まだ三十にもならないというのに、老僧のようにやせ衰え、濃い墨染めの法衣に、真っ黒の袈裟を掛けた仏道修行に徹している求道者であり、その事がうらやましくも思われた。晋の七賢*20が住んだ竹林、漢の四皓*21が住んだ商山の様子も、ここほどではないように見えた。

*1:しげかげ

*2:和歌山市の南、和歌川河口の北岸

*3:和歌山市の西南、雑賀崎の北

*4:そとおりひめ:第19代の允恭天皇の后で美女として有名

*5:和歌山市和歌浦にある

*6:和歌山市秋月に左右に並んであり、日前宮日像鏡を祭り、国懸宮は日矛鏡を祭る

*7:和歌山市内の紀ノ川の河口

*8:真言宗総本山金剛峰寺がある

*9:もちより

*10:清涼殿の北東にある御溝水の落ちるところを「滝口」と呼び、そこの詰所に勤めて警護などにあたる役

*11:せいおうぼ:中国古代の仙女で、東王公と並ぶ不老長寿の神仙

*12:とうぼうさく:前漢武帝に仕え、東王公と同一化され不老長寿の神仙とされた

*13:京都市右京区嵯峨ある浄土宗の寺

*14:京都市右京区四条の桂川にかかる松尾橋の辺り

*15:嵯峨・松尾辺りの桂川の称

*16:しょうじょうしんいん:高野山の蓮華谷にある寺

*17:髪を剃り出家するまでは私もこの世を恨みましたが、あなたも仏道に入ったと聞き嬉しく思っています

*18:髪を剃って出家されたからといってどうしてあなたを恨む事ができるでしょうか、あなたの心持ちはとても引き留める事のできるものではないのですから

*19:奈良県法華町にある法華滅罪之寺

*20:世を避けて竹林にて清談を交わしたという七人の隠士

*21:陝西省の商山に世を避けて暮らした四人の隠士