いろいろなことが重なったせいで、気分が優れない。こういうときは無理をしないに限る。じっと春が来るのを待つのに似ている。
のろのろと傍らの本を手に取る。いつもに増して志賀直哉の文章が染み入ってきた。
今の自分の目は志賀直哉の目とそう遠くないのかもしれない。だとしたら志賀直哉の目はどれほど冷めていたことだろう。
小林秀雄志賀直哉について「氏の印象はまことに直接だ」、「氏は思索と行動との間の隙間を意識しない。(途中略)洵に氏にとっては思索する事は行為することで、行為する事は思索する事であり、かかる資質にとって懐疑は愚劣であり悔恨も愚劣である」と述べている。
この静かな状態も悪くない。妙に浮付いていた以前の自分を恥ずかしく思う。本や映画に安易に感動を求めていたことを。
〈引用〉「志賀直哉−世の若く新しい人々へ−」より小林秀雄初期文芸論集 (岩波文庫)