何になりたいか

大人になったら何になりたいか?幼稚園の年長のとき、卒園アルバムに載せるためのそんな質問をされて、初めて自分が何になりたいかを考えたように思う。それまでの私は、その日の出来事や次の日に何をするかで頭も心も常にいっぱいだった。どこどこで採れる砂は粒がとても細かいから水に溶けるとコーヒー牛乳のようになるといって小さな瓶に必死で集めたり、水たまりが干上がってひび割れた泥がチョコレートのようだといってこれまた大事に集めたり、インクの実(ヤマゴウボウ)をつぶして葡萄酒みたいだといって喜んだり、毎日新しい発見が目白押しで、自分が成長していつか大人になるということを想像する暇すらなかったように思う。ちなみに、卒園アルバムを見ると、私の将来の夢は「パンやさん」だ。これは、単純にパンが好きだったから。しかし実際、約20年後には「パンやさん」をやることになるのだから子供の直感もあなどれない。

小学校で本の面白さを知ってからは、自分もいつか文章で人を喜ばせられたらと思うようになった。

人生100年として、折り返し地点に来た今、何になりたいかと聞かれたら、一つだけ思い当たるものがある。つい最近までの私は、自分以外の人が喜んでくれることが自分の幸せだと思っていた節があり、自分で自分を喜ばせることが苦手だったというか、わからなくなっていた。2年ほど前、人生の何度目(!)かの大きな転機によって自分のために生きなければならなくなったことを知った私は、最初は戸惑った。しかし徐々に(あの毎日が新しい発見でワクワクしていた頃のように)自分の人生を楽しめるようになった。そういう今の自分が内側から湧き上がるような幸せを感じるのは、肩書も何もなく身体一つと少ない荷物で旅をしているときだ。昔から漠然と山登りが好きなのも同じ理由だったのだろうか。もちろん楽しいことばかりではない。体調を崩すときもあるし、人間関係で嫌な思いをすることもある。それでも、行こうと思えばどこへでも行ける、何かあってもそれは自分に起こったことだとあきらめることができる、その身軽さが私には心地いいのだと思う。これは私の本質と直結する欲求であるから、責められたからといって変えることができない。

沢木耕太郎の「天路の旅人」は旅文学としても非常に面白いものだったが、何より西川氏の強烈な生き方を羨ましく思った。

2022.2 音羽

 

グスコーブドリ

一年くらい前のこと、筑摩書房から宮沢賢治生誕120年を記念して宮沢賢治コレクションセット(全10巻)が出版されていたことを知り、思い切って全巻まとめて購入した。生きてきた時代は少し違うが、幼少期を賢治と同じ東北で過ごしたせいなのだろうか、物語のなかで自然や気候の厳しさに関する描写に触れると不思議なくらいシンパシーを感じる。昭和55年の夏は少しも気温が上がらず、ずっと寒かったのを今でも覚えている。最近はめっきり聞かなくなったやませ(偏東風)の影響で、その年の東北は大冷害に見舞われた。

話は戻るが、件のコレクションセットは折に触れて手に取り、そのとき目に入った物語や散文を好き勝手に読んでいる。グスコーブドリの伝記は子供の頃に一度は読んだはずだった。その頃は、森での生活という自然の世界から、農業、そして火山局での仕事という現実的な世界への変化についていけなかったと記憶している。当時の私にはどうやら「物語」というものの理想があって、ブドリの人生は私の理想の物語から外れたところにいたのだろう。

今日、何十年かぶりにグスコーブドリの伝記を読んで、ブドリの人生が自分の人生とよく似ていることに気付いた。帰国してからの私は、とても仕事を選べるような状況ではなく、どんな仕事でも仕事をさせてもらえること、それが誰かの役に立つことが嬉しかった。そしてそのときそのときの縁で出会った人たち(クーボー大博士やペンネン老技師)に助けられて、火山局のブドリのように今はとある専門的な職に就いている。

私は、自分の人生がいつのまにか理想の物語からはかけ離れたものになっていたことを知り、一層、ブドリを身近に感じた。

 

八甲田山とシラネアオイ

八甲田山シラネアオイを見に行こうと決めたのは、今年の5月も中旬に入ってからことだった。シラネアオイが見られるのは初夏のごく短い期間だ。その時期は仕事が忙しく、気付けば本当の夏が始まってしまっているというのが毎年のことだった。が、今年は5月末~6月頭にポコッと仕事の途切れ目が現れた。早速、6月最初の週末に金曜の休みをくっつけて二泊三日で青森へ飛んだ。

梅雨前線と早い台風との影響で金曜は朝から雨、飛行機が飛ぶかどうかもあやしい状況だったが、午前中の便だったことが幸いしてか、雨が強くなる前に30分ほどの遅れで飛行機は離陸した。機内の窓から灰色の空を見ながら、飛行機さえ飛んでくれればあとは上手くいくだろうと思った。

翌日土曜、小雨の中、青森駅前からバスで八甲田山のロープウェイ山麓駅へ向かう。今回はロープウェイで山頂公園駅まで上がってから、毛無パラダイスラインに沿って酸ヶ湯温泉に下る予定だ。上り口と下り口とが違うためレンタカーの使用はやめた。

ロープウェイ乗り場で片道のチケットを求めると、登山道は残雪が多いのでお勧めできないと忠告された。楽しみにしていた毛無岱に行けないなんて、と一瞬迷ったが、無理をして怪我でもしたら元も子もない。往復のチケットを購入し、上りのロープウェイに乗り込んだ。始め、ロープウェイからは霧が重く立ち込めているのが見えただけだった。しかし、上へ行けば行くほどその霧は濃くなり、頂上公園駅に着く頃には辺り一帯が真っ白になった。

外は風と雨と霧、足元はほぼ残雪、軽アイゼンでもあればもう少し歩き易かったのになあと下調べ不足を反省した。時折すれ違う登山者は口々に「こんなに雪があるとは(思っていなかった)」と言っていたから、今年は特に残雪が多いのかもしれない。

頂上公園駅付近への滞在は30分そこそこにして、ますます強くなる雨の中、下りのロープウェイへ。時刻はまだ昼前、次のバスは16時台、さてどうするかと思いながら窓の外を見ていると、雨に濡れた緑ばかりが続く中、そこだけ別世界のように明るい紫色が点在するエリアが出現した。シラネアオイの群落だ!あそこに行かなければ。

ロープウェイが山麓駅に戻る頃には、雨脚はさらに激しくなっていた。予想天気図を見ると1時間ほど待てば雨の切れ間が現れそうである。それを待つことにした。

…さて、1時間経ったが雨はそれほど収まらない。待ちきれないので雨具を装備してシラネアオイの群落を目指すことにした。

ロープウェイ沿いには登山道が整備されているが、長雨と土質とが相まってか非常に滑りやすい。汚れることを覚悟して両手も使いながら上がる。かなり息が上がった頃、あの明るい紫色が視界に入ってきた。

見事なシラネアオイの群落だった。下りのロープウェイに乗っていなければ、雨でなければ、気付かなかったかもしれないと思うと、なんて自分はついているんだと嬉しくなった。それにしても美しい色合いだ。シラネアオイは日本の固有種らしいが、こんな山の斜面に人知れず咲いているのも健気な感じがしていい。などと思っていると、シラネアオイの群落の中に、憧れのサンカヨウの花を見つけた。雨でなければサンカヨウだと気づかなかったかもしれない。長雨に濡れて花弁が透き通っていた。泥だらけになりながらここまで上がった甲斐はあり過ぎるほどあった。

シラネアオイ

サンカヨウ

山麓駅に戻った時点で時刻は13時過ぎだったと思う。地図によれば酸ヶ湯温泉までは6Km弱、2時間も歩けば着くだろうということで、酸ヶ湯温泉を目指して歩くことにした。雨の中を動き回ったことですっかり身体も冷えたことだし、温泉に入って温まってから予定していたバスに乗ろう。

しかし、30分も歩かないうちに親切な登山者の方から声をかけていただき、ありがたいことに酸ヶ湯温泉まで車に乗せてもらった。お仕事をリタイヤされたので、北東北の山を巡っているとのことだった。ところで、雨の中、普段から歩行者がいないような車道脇を派手なザックカバーを付けて歩く姿はかなり目立ったらしい。これは、酸ヶ湯温泉の湯上り後の椅子で、どちらからともなく喋りかけた方に言われた。車で移動中に私を見かけたそう。弘前在住の方で、同級生と思われる数人が県外から遊びに来ているとのことだった。まるで私もその仲間の一人のように、撮ったシラネアオイサンカヨウの写真を見せたり、白神山地のお勧めルートを教えてもらったりした。楽しいひと時だった。一人旅はこんな出会いがあるから面白い。

最終日の日曜、ようやく青森の空は晴れた。空港へ向かうバスの中で、八甲田山の全容を初めて見ることができた。

八甲田山

 

好きなもの

2009年にクロを連れて帰国、その後、数度の引っ越しを経て今は窓から六甲山が見える街に暮らしている。それまでにあったいろいろなことは、たくさんあり過ぎるので省略。

昨日の帰り道、もし誰かに人生で影響を受けた作家は?と聞かれたら、今は以下の3名を答えるだろうなと思った。

 佐藤さとる

 星野道夫

 須賀敦子

 

須賀敦子さんのエッセイは読めば読むほどその魅力にはまっていく。読み手を少しも疲れさせないのは、人間と文章とがほとんど乖離していないからだろう。これは生き方の問題で、努力しても私にはあのような文章は書けないのだ。単純にこの辺りのよく知っている地名が出てくるのも嬉しい。

 

長い間、仕事以外の文章を書いていないのでややぎこちないが、しばらくは日記として続けてみようと思う。

2022.8 旭岳

 

明日死ぬとわかっていても、その生活を選ぶのか。
これは、今自分が幸せに生きているかどうかを計る単純でわかりやすい問いかけだ。もし、すべてを捨ててどこかへ飛び出すだろうと答えるのなら、今すぐ飛び出した方がいい。早い方がいい。もう自分を、自分以外の誰かの犠牲にするのはやめた方がいい。お互いのためにも。

賢明な親はわかっている。自分たちが子供にできる唯一のことは、自分自身の力で歩いていけることを、身をもって示すことだと。「心配」という便利な言葉のもとに、相手が一人で歩く力を奪ってはならない。

自分を幸せにできるのは自分しかいない。死へ旅立つときは、誰もが一人だ。

自分の幸せのために生きられなかった人は、死ぬ間際になって思うだろう。「自分は一体何をしてきたのだろう」と。そして残された人たちには、悲しみと後悔をもたらす。

だが、自分の幸せのために生きた人の死は、決して悲しむようなことではない。物理的な寂しさはあるかもしれない。でも、そんなものとは比べ物にならないようなものを彼らは私たちに与えてくれた。自分自身を幸せにすることの大切さを、身をもって示してくれた。そう、賢明な親と同じように。

私が死ぬとき、私に関わってくれた人たちの一人でも多くが、笑っているといいなあと思う。少なくとも、私の心は笑っているだろう。明日死ぬとしても、私は変らず手を動かし続けることを選ぶから。

Scout

ごく近所にありながら今まで一度も訪れたことのなかった個人の毛糸屋がある。
間口が狭いのであまり期待していなかったのだが、実は奥行きがあり、品揃えは思った以上だった。パターンや本も豊富だ。Noro糸は網羅しているのではないだろうか……。
そこで、一目で気に入り購入したSublime(613)からScoutを編み始めた。もともとは子供用だが、一番大きいサイズなら何とかなりそうだったので。