徒然草を読む172

黄葉

第二百三十二段

 大体のところ、人というものは、無智・無能であるようにしている方がいいのだ。ある人の子で、見た目なども悪くない者が、父の前で、人と話をする際に、歴史書の本文を引用していた。これは確かに賢そうには聞こえるが、目上の人の前ではそのような事をしなくともと思われる出来事であった。また、ある人の所で、琵琶法師の物語を聞こうとして、琵琶法師を呼び寄せたのだが、柱*1の一つが落ちていたので、「新しく作って取り付けなさい」と言うと、居合わせた男たちの中で、見た目も悪くないような人が、「古いひしゃくの柄はありませんか」などと言うので見てみると、爪を長く伸ばしている*2。琵琶を弾くのであろう。だが、盲目の法師の琵琶など、そのような処置をするに及ばない。琵琶の道に心得がある所を見せたいのだろうと、聞くに堪えなかった。ある人は、「ひしゃくの柄は、檜の曲物に使う木だとか言って、琵琶の柱には適していないのだ」と言っていた。
 若い人の場合は、少しの事でも、よく見えたり悪く見えたりするものである。

*1:ちゅう:琵琶の駒

*2:昔は、琵琶を爪弾くのに親指・中指の爪を長く伸ばした