徒然草を読む171

第二百三十一段

 園の別当入道*1は、無双の料理師である。ある人の所で、見事な鯉が出てきたので、人々は皆、別当入道の包丁さばきを見たいと思ったが、軽々しく口に出すのもいかがなものかとためらっていると、別当入道は、機転が利く人だったので、「この度、百日間続けて鯉を切るという稽古をしておりますので、今日の分を欠かす訳にはいきません。どうか、その鯉をいただけませんか」と言って、皆の前で鯉をさばいた。実にその場に適っていて、趣向があると人々は思ったと、後にある人が北山の太政入道*2殿に話したところ、太政入道は、「そのような事は、私にはひどくわざとらしく思える。『きちんと切る事のできる人がいないなら、私に下さい。切りましょう』と言ったなら、もっとよかったであろう。一体どうして、百日間続けて鯉を切ろうなどと言うのか」とおっしゃったのを、面白く思ったと話していたのだが、実に面白い。
 大体において、わざとらしく振舞って趣向がある事よりも、趣向などなくて穏やかな方が、より勝っているのである。客人へのご馳走なども、ちょうどよい頃を見計らって出してくるのも実にいいが、ただ、何という事もなく出てくるのもまたいい。他人に物をやる事についても、何のついででもなく、「これを差し上げましょう」と言ってただやるのが、本当の親切心というものだ。惜しむ素振りをして相手が欲しがるのを望んだり、勝負事に負けて勝者をもてなす代わりの言い訳として品物をやったりするのは、見苦しいものだ。

*1:藤原基氏(もとうじ)

*2:西園寺実兼