徒然草を読む178

クロ

第二百二十六段

 後鳥羽院の治世*1の頃、古典に造詣が深いと評判の信濃前司*2・行長*3は、白氏文集*4の新楽府*5の問題点を天皇の御前で討議する当番に呼ばれた際、七徳の舞*6にいわれる七つの徳のうち二つの徳を忘れていたので、五徳の冠者とあだ名を付けられたのを情けなく思い、学問を捨てて遁世した。慈鎮和尚*7は、一芸ある者は、下僕までも召しかかえて面倒をみていたので、この信濃入道の生活も助けられた。
 この行長入道は、平家物語を作り、生仏*8という名の盲目に教えて語らせた。比叡山延暦寺の事を殊に素晴らしく書き、また、九郎判官*9の事はよく知っていて詳しく書き載せた。蒲の冠者*10の事はよく知らなかったのだろう、多くの事を書きもらしている。武士の事、弓馬の業は、生仏が東国の者だったので、武士に尋ねさせて書かせた。この生仏の生まれつきの声を、今の琵琶法師は学んでいるのである。

*1:1184〜1198年、ここでは院政を行った1221年の承久の乱までを含めている

*2:信濃国の前国司

*3:ゆきなが:中山行隆の三男で、実際は下野守であり信濃前司は誤り

*4:はくしもんじゅう:白居易の詩文集

*5:しんがふ:漢代に起こった楽府(漢詩の一体)を古楽府というのに対して、唐代の新歌を指す

*6:しちとくのまい:七徳とは抗争・軍事に関する七つの徳(暴を防ぎ、戦をやめ、王位を安定させ、手柄を定め、民を安心させ、人々を平和にし、財産を豊かにする)であり、これにより唐の太宗が陣中で作った舞が「七徳の舞」で、白居易がそれを詩に作ったものが「白氏文集」巻第三の「新楽府」にある

*7:じちん:吉永和尚、すなわち天台座主歌人慈円

*8:しょうぶつ:「性仏」、すなわち姉小路資時(あねのこうじすけとき)とも推測されている

*9:源義経

*10:源範頼