徒然草を読む177

第二百二十五段

 多久資*1が言うには、通憲*2入道は、舞の型の中から興のあるものを選んで、磯の禅師*3という女に教えて舞わせた。白い水干*4に鞘巻*5を差させ、烏帽子をかぶらせたので、男舞と言われた。この磯の禅師の娘は静*6といい、この芸を継いだ。これが白拍子の始まりである。仏・神が現れた由来・縁起を歌った。その後、源光行*7が、多くの歌を作った。後鳥羽院*8の御作もある。寵愛された舞女の亀菊*9に教えられたとも聞く。

*1:おおのひさすけ:多家は神楽と人長舞を家業とし、宮廷に仕えた

*2:みちのり:藤原通憲、出家後は信西と称した

*3:いそのぜんじ

*4:すいかん:狩衣の一種

*5:そうまき:鍔のない短刀

*6:しずか

*7:みつゆき:鎌倉初期の歌人で学者、「蒙求和歌」の著者

*8:第82代天皇

*9:かめぎく