徒然草を読む152

蜻蛉

第百八十八段

 ある者が子を法師にして、「仏教を学び、因果応報の道理をも理解し、説経などをして生計を立てる手段ともせよ」と言ったところ、子は言われるままに説経師になるためにと、まず乗馬を習った。これは、輿・牛車は持たない身であるので、法会に導師として招かれた時、馬などを迎えによこさせたなら、桃尻のせいで落ちてしまっては情けないと思ったからである。次に、法会の後、酒などを勧められる事があるだろうが、法師でまったく芸がないのでは、主催者が興ざめに思うだろうと、早歌*1というものを習った。二つの技芸が、ようやく熟達の域に達したので、ますます上手になりたいと思って励んでいるうちに、説経を学ぶ暇がなくて、年を取ってしまった。
 この法師だけの話しではない。世間の人にも、おしなべて、このような事がある。若い頃は、様々な事に携わって、身を立て、大きな専門の業を成し遂げ、芸も身につけるが、仏教を学ぶ事はしない。長い未来に渡って行う事はたくさん心の中に持っていながら、一生をのどかなものと思って怠け、まず、目の前に差し迫った事ばかりに気を取られて月日を送れば、どの事も成し遂げられる事がないまま、身体は老いてしまう。ついには、一つの専門の達人にもなれず、思っていたようなよい暮らしをも立てられない。悔やんでも取り返しのつかない年齢になっているので、後は走って坂を下り行く輪のように衰えていくだけである。
 そうであるから、一生の中で、重要だと思う事の中から、どれが一番大事かをよく考え比べ、最も重要な事を定めたなら、それ以外の事は心の中からも捨ててしまい、その一つを励むべきである。一日の中、一時間の中でも、多くの事が差し迫ってくる中から、少しでも益の勝っている事を行って、それ以外の事は打ち捨て、最も重要な事をさっさとするべきである。どれも捨てまいと心の中に持ち続けていては、たった一つの事も成し遂げられはしない。
 例えば、碁を打つ人というのは、一手も無駄にせず、相手に先んじて、益が少ない石を捨て益の大きい石を見極め、それを生かそうとしている。ここで、三つの石を捨てて、十の石を生かそうとする事は簡単だが、十を捨てて、十一を生かそうとする事は難しい。たった一つであっても益が大きい方を残すべきであるが、それが十までになってくると、惜しく思えて、多くの益の少ない石を捨てる事が難しくなる。これも捨てないが、あれも残したいと思う心のせいで、あれも得ず、これも失う事になるのである。
 京に住む人が、東山に急ぎの用があって、既に東山へ到着したのだが、西山へ行けばその益が大きい事に気付いたのならば、東山の門の前から帰って西山へ行くべきなのである。「ここまで来たのだから、まずはこの事を言っておこう。西山の事は先方が日を指定していない事なので、帰ってからまた予定を立てよう」と思う事が、一時の懈怠*2、即ち一生の懈怠となる。これを恐れるべきだ。
 一つの事を必ず成し遂げようと思えば、他の事が成されずに終わるのを苦痛に思う必要もないし、他人の嘲りも気にしなくていい。すべての事と引き換えにしなければ、一つの最も重要な事は成し遂げられない。たくさんの人がいる中で、ある者が、「ますほの薄*3を、まそほの薄などと言う事がある*4が、渡辺*5の聖が、この事を伝え聞いて知っている」と語っているのを、その場に居合わせた登蓮*6法師が耳にした。雨が降っていたので、「蓑・笠はありますか。貸してください。その薄の事を尋ねに、渡辺の聖の元へ伺いましょう」と法師が言ったのを、周りの人々は「余りに性急だ。雨が止んでからにしては」と引き止めた。すると法師は、「とんでもない事をおっしゃいますね。人の寿命は雨の晴れ間を待ってはくれません。私が死に、聖も亡くなったならば、尋ねる事ができないではありませんか」と言うと、走り出て行って、聖に教えを受けたと語り伝えられているが、めったにない立派な事と思われる。「機敏に行えば、成功がある*7」と、論語という文書にもある。登蓮法師がこの薄の話をいぶかしく思ったように、ある者の子である法師も、諸仏が衆生救済のためこの世に出現するという最も重大な因縁をよくよく思って、仏道に精進するべきであった。

*1:そうか:鎌倉〜室町にかけて流行した謡い物

*2:けだい:仏語で「精進」に対する語であり、善事を行うのに怠けている状態をいう

*3:ますほのすすき:穂が赤みを帯びた薄

*4:これ以降の逸話は鴨長明・無名抄の「ますほの薄の事」にある

*5:摂津国の難波江の渡口の地、現在の大阪市東区渡辺橋の辺り

*6:とうれん

*7:「敏なれば、則ち功有り」