徒然草を読む142

第百七十五段

 世の中には、合点のいかない事がたくさんある。何かの度に、まず酒を勧めて、無理に飲ませるのを楽しむというのは、どうしてなのか分からない。勧められた人が、ひどく耐え難そうに眉をひそめ、人目を盗んで酒を捨てて逃げようとするのを、引き止めてむやみに飲ませたなら、きちんとした人も、たちまち正気を失ってみっともなく、健康な人も、目の前で重病人となって、前後も知らず倒れ伏す。その日が当人にとって祝われる日である場合などは、特に情けない。翌日まで頭が痛く、物は食べられず、未だ醒めない酔いに苦しみ、まるで前世の事を忘れるように、昨日の事を覚えていない。公・私の重要な事をし損じて、悩みの種となる。他人をこのような目にあわせるのは、慈悲もなく、礼儀にも背いた行いである。このような辛い目にあった人は、憎らしく、悔しいと思うに違いない。他の国にこのような習慣があったとして、自国にはないので他人事として伝え聞いたのなら、奇妙に感じるであろう。
 酒に酔った人というのは、よそ目に見ても情けないものだ。考え深く、奥ゆかしく見えた人も、少しの思慮もなく笑ったり騒いだりして、よく喋る。烏帽子は歪み、衣の紐をはずし、脛を露わにして、少しも用心する様子がないのを見ていると、普段と同じ人とは思えない。女は、額髪*1を払いのけて、恥かしげもなく、顔をのけぞらせて笑っている。教養のない女は、盃を持っている手にすがりつき、酒の肴を取って人の口に差し出し、自らも食べる。何とも見苦しい。声の限りを出して、各々が歌ったり舞ったり、そのような中、呼び出された年老いた法師が、上衣を脱いで黒く汚い身体を露わにし、目も当てられない様子で身をねじって舞っているのは、楽しんで見ている人さえも疎ましく、腹立たしい。あるいはまた、自分が立派だという事などを、聞き手が片腹痛い程に言い聞かせる人、はたまた、酔って泣き出す人もいる。下級の人は、ののしり合い、争う。情けない上に恐ろしい事だ。恥さらしな情けない事ばかり起こって、果ては、許可もされていないのに人から物を無理に奪って、縁から落ちたり、馬や車から落ちたりして、怪我をしてしまう。乗り物に乗る事もない身分の者は、大路をよろよろと進み、塀や門の下などあちこちで、何とも言い表せないような事をする。袈裟を着た年老いた法師が、稚児の肩に寄り掛かり、訳の分からない事を言いながらよろめいているのは、見るに耐えない。
 このような事が、この世でも後の世でも益のある行いならば仕方がないが、この世においては、過ちを多く犯させ、財産を失わせ、病を連れてくるのが酒である。百薬の長とは言っても、あらゆる病は酒から起こるものだ。憂いを忘れると言っても、酔った人というのは、過去の憂いまでも思い出しては泣くようなところがある。人の智恵を失い、善行を焼き、恥を増し、あらゆる戒律を破った人は、後の世できっと地獄に堕ちるであろう。「酒を取って他人に飲ませた人は、五百生*2の間、手のない者に生まれる」と、仏は説いていらっしゃる*3
 このように酒とは疎ましく思われるものであるが、たまに、捨て難い時もある。月の夜、雪の朝、花の下でも、心静かに語り合って、盃を差し出すというのは、それぞれに興を添える方法である。独りで静かに過ごす中、思いの外に友人か訪ねて来て、一献を設けるのも、心慰められるものだ。馴れ親しんでいない御方に御簾の中から、御果物・御酒などを、上品な声を共に差し出されるというのは、実にいい。冬、狭い所で、何かを煎りながら、心の隔てのない友人と向かい合って、酒を飲み続けるというのも実に趣がある。旅の仮小屋、野山などで、「酒の肴に何か欲しいなあ」などと言いながら、芝の上で飲むのもいい。勧められてひどく迷惑がっていた人が、強いられて少しだけ飲むというのも、実にいい。教養のある立派な人が酒を取り分けながら、「もう一杯どうですか。盃が減っていませんね」などとおっしゃるのも、嬉しい。親しくなりたいと思う人が、上戸で、すっかり打ち解けて親しくなるのも、また嬉しい。
 そうは言っても、上戸というのは、滑稽で、罪がないような人の事である。他人の家で酔いつぶれて朝まで寝てしまったところを、家の主人に戸を引き開けられ、あわてて寝ぼけた顔のまま、細い髻*4を露わにし、衣も着敢えずに、それらを抱えてひきずりながら逃げる。裾をたくしあげたその後姿、毛の生えた細い脛の様子など、やはり滑稽で、上戸というものにふさわしい。

*1:ひたいがみ:二つに分けて左右に垂らした前髪

*2:ごひゃくしょう:衆生が迷いの世界に生まれ変わる長久の間

*3:「梵網経」

*4:もとどり