徒然草を読む112

Brown Pelican

百三十八段

 「賀茂の祭が終わった後の葵は不用だ」と、ある人が御簾に掛け渡していた葵の葉をすべてはずさせたのを、情趣もない事だと思ったが、立派な人がした事なので、そうするべきものなのかと思っていたところ、周防内侍*1が、
   かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵の枯葉なりけり*2
と、母屋の御簾に枯れた葵の葉が掛かっている様子を詠んだ事が、歌集*3に書かれていた。古い歌の詞書*4にも、「枯れた葵に結んで遣わす*5」とある。枕草子にも、「過ぎて恋しい物は、枯れた葵」と書かれているのを読んで、たいそう親しみを感じた。鴨長明の四季物語*6にも、「玉垂*7に祭の後の葵が留まっている」と書かれている。自然と枯れてしまうのでさえ名残惜しいものを、跡形なく取って捨ててしまっていいものか。
 貴人の御座所に掛ける薬玉*8に添えられた菖蒲も、九月九日の重陽節句に、菊に取り替えられるというのだから、菖蒲はその時期まであるはずのものなのだろう。枇杷太后*9がお亡くなりになって後、古い御座所の内に、菖蒲の薬玉などの枯れたのがあるのを見て、「菖蒲草涙の玉にぬきかへて折ならぬねをなほぞかけつる*10」と辨の乳母*11が詠んだ歌の返事に、「玉ぬきしあやめの草はありながら夜殿は荒れむものとやは見し*12」と、江侍従*13も詠んでいる。

*1:すおうのないし:周防・因幡守の平棟仲の娘である平仲子

*2:祭の後にも御簾に葵の葉を掛けておくが、いくら掛けておいても枯れてしまっては甲斐がなく、思う人は離れて行って一緒に見る事がない

*3:「周防内侍集」

*4:ことばがき:和歌の前に、その事情や種子などを記した文章

*5:「はやう物いひし人に、かれたる葵にさして」実方中将集

*6:鴨長明の著という確証はない

*7:たまだれ:美しい御簾

*8:五月五日の端午の節句に掛けるもので、香料を詰めた袋を糸で飾り、菖蒲や蓬などを添え、五色の糸を長く垂らす

*9:第67代の三条天皇中宮の研子、藤原道長の二女

*10:御在世の頃からあった菖蒲を、今は薬玉から涙の玉に通し替えて、時季はずれの菖蒲の根を掛けるだけです

*11:加賀守・藤原順時の娘で、刑部卿・藤原敦兼の妻

*12:薬玉に通していた菖蒲は今も残っていますが、夜殿がこのように荒れてしまうとは思いましたでしょうか

*13:ごうじじゅう:父が尾張・丹後等の守で侍従の大江匡衡