徒然草を読む85

第百四段

 荒れ果てて訪問する人もいない家に、女が、世間にはばかる事があり、ひっそりこもっているのを、ある人が見舞おうとして、夕月がまだおぼつかない頃に、こっそり訪ねた事があった。怪しんだ犬が激しくほえたため、中から出てきて「どちらからですか」と言った召使いの女にそのまま案内させて、中へ入った。家の中の物寂しげな様子を見るにつけ、どのように日々を過ごしているのだろうと、気がかりである。粗末な板敷きの間にしばらく立ったまま待っていると、控え目で若々しい声が、「こちらへ」と言うのが聞こえたので、開閉のしにくい遣戸から中へ入った。
 部屋の内の様子は、ひどく荒れ果てているという訳ではない。燈火は、奥ゆかしく、あちらの方がほのかに明るい程度であるが、その辺りにある物の華やかさなども目に入る。客が来たので急いで焚いたという訳でもない香の匂いが漂っていて、その暮らしぶりには、実に心が引かれた。「門をしっかり閉めなさい。雨が降るかもしれないから、御車は門の下に、お供の人はどこそこに」と言った後に、「今夜こそ安心して眠る事ができそうです」とこちらには聞こえぬようにささやいているのが、それほど広い所ではないので、かすかに聞こえた。
 さて、今度の事についていろいろと話しを聞いていると、まだ夜が深いうちに鳴く一番鳥が鳴き始めた。過去の事からこの先の事に渡って心をこめて話しをしていくうちに、今度は鳥もにぎやかに鳴き始めた。夜が明けてしまったのだろうかと尋ねたが、夜が深いうちに急いで立ち去らなければならないような所でもないので、しばらくゆっくりしていたところ、やがて戸の隙間が白んできたので、忘れ難い事などを伝えて立ち去る事にした。外へ出ると、梢の緑も庭の草木も目に新しく、一面が青く輝いていた。この卯月の頃の夜明けが、殊に優美であった事が忘れられず、今でもその辺りを通る時は、女の家にある大きな桂の木が見えなくなるまで、目で見送っているという事だ。