徒然草を読む73

第八十九段

 「山の奥には、『猫また』というものがいて、人を食うらしい*1」とある人が言った時、「山ではなくとも、この辺りでも、年功を積んだ猫が猫またになり、人の命を奪うという事があるそうだ」と言う者がいた。これをたまたま、行願寺*2の辺りにいた何がしとかいう連歌に携わる法師が耳にした。一人で歩く身である上は気をつけるべき事だと思っていた矢先、ある所で夜が更けるまで連歌をして、たった一人で帰途に着く途中、小川の端にて、噂に聞いていた猫またが狙いもはずさず足元へさっと寄って来て、飛びついたかと思うと、あっという間に首の辺りを食おうとした。法師は正気を失って、これを防ごうとする事もできず、足も立たず、小川へ転げ落ちて、「助けてくれよう、猫まただよう、猫まただよう」と叫んだので、周囲の家々から人々が松明を灯して駆けつけて来た。見てみると、この辺りでよく見かける僧である、「これはどうしたんだ」と、小川の中から抱き起こしたが、連歌の席で受け取った賭物の、扇・小箱など懐に持っていたものも、水に濡れていた。法師はやっとの事で助かったといった様子で、どうにかこうにか家に帰って行った。
 飼っている犬が、暗い中でも主人だと分かって、飛びついたのだとか。

*1:藤原定家「明月記」に、この噂についての記載がある

*2:ぎょうがんじ:現在は京都市中京区寺町通りにある