徒然草を読む32

第四十一段

 五月五日、上賀茂神社の競べ馬を見に行った。牛車の前に身分の低い者たちが立ち並び見えないので、同乗していた人々はそれぞれ牛車から降りて、柵の方へ近付こうとしたが、更に人は増すばかりで、分け入るすきもない。
 そんな中、柵の向かいにある栴檀*1の木に登っている法師がいた。木の股に腰を下ろして見物している。木の上にいながら、ひどく眠い様子で、今にも落ちそうになって目を覚ますということも度々だ。これを見た人があきれ返って、「世にも稀な愚か者だ。あのように心もとない枝の上で、どうして安心して眠っていられるのだろうか」と言うのを聞き、つい心に思いつくまま、「我々の死の到来は、今すぐかもしれないのに、それを忘れてこうして競べ馬を見物している。愚かさでいうなら我々の方が勝っているかもしれないぞ」と言ったところ、前にいた者たちは、「本当にその通りでございましょう。いかにも愚かでございます」と言い、後ろを振り返って、「ここへいらっしゃいませ」と、自分たちの場所を空けて私を呼び入れた。
 これくらいの道理は、誰であっても思いつかないことはないであろうが、このような時であるから、思いがけないように感じて、心に響いたのであろうか。人は、木や石ではないのだから、時機によっては、物事に心を動かされる事がないわけではない。

*1:せんだん