平家物語を読む148

巻第十 内裏女房*1

 二月十四日、生け捕りにされた本三位中将・重衡卿が、六条大路を東に引かれていった。屋形に小さな八葉の蓮花の紋をちりばめた車は、前後のすだれが巻き上げられ、左右から中が丸見えだった。土肥次郎実平が黒味を帯びた黄赤色の衣に小具足*2だけを着けて、兵士三十騎ほどを引き連れて、車の前後を警護していた。身分の高い人も低い人も、これを見て「ああ、かわいそうに。一体どのような罪の報いだというのか。たくさんいらっしゃる君達の中で、重衡卿だけがこのような目に遭われるとは。父親の清盛公にとっても母親の二位殿にとっても、お気に入りの息子でいらっしゃったので、平家一門の人々もさぞかし大事に思っているだろう。法皇天皇の御所に出入りされていた時は、年老いた人も若い人も敬意を払っていたというのに。これは治承四年に奈良の寺を滅ぼした事による、罰ではないか」と言い合った。鴨川の河原まで行くと、そこから来た道を引き返して、車は八条の南、堀川の東にある故中御門中納言・藤原家成卿の邸内にある御堂に置かれた。続けて、土肥次郎が警護に当たった。
 後白河法皇の御所から、使者として蔵人左衛門権佐・藤原定長が八条堀河へ向った。緋色の衣に剣を帯び、手には笏を持っている。三位中将・重衡卿は淡い紺地の所々が濃紺に染められた衣に、立烏帽子をかぶっていた。普段は何とも思わない定長が、今は地獄の閻魔庁の役人に思われる。定長は「後白河法皇は『屋島へ帰りたいのであれば、平家一門に、三種の神器を都へ返させよ。そうすれば、屋島へ帰してやろう』とおっしゃっています」と言った。これを聞いて、重衡卿は「重衡千人、いや万人の命がかかっていても、内大臣・宗盛公以下の平家一門の者たちは一人として、三種の神器をお返ししようとは言わないでしょう。もしかすると、女性であるので母親の二位などは、そのような事を言うかもしれません。そうは言っても、このまま法皇の命を黙って見ているだけというのも恐れ多いので、平家にそのように伝えてはみましょう」と言った。重衡卿の使者は平三左衛門・重国*3で、後白河法皇の命を伝える使者は御所の召次所に勤める下役人・花形と聞く。重衡卿の手紙に、個人的な内容は許されなかったので、平家の人々へは言付けをした。北の方である大納言佐殿*4へも、「旅の空の下でも、あなたは私によって慰められ、私はあなたによって慰められていましたのに、引き離されて後、どれほど悲しい思いでいる事でしょうか。『契りは朽ちせぬもの*5』と言いますから*6、あの世で生まれ変わったならば必ず会いましょう」と、泣きながら言付けた。使者の重国も涙をこらえて屋島へ発った。
 三位中将・重衡卿が長い間召し使っていた侍に、木工右馬允*7・知時という者がいた。今は八条女院*8に仕えている。この知時が土肥次郎のもとへ出かけていった。「私は三位中将殿に長い間召し使われていました木工右馬允・知時という者でございます。西国へもお供するべきと思っていましたが、八条女院にもお仕えしておりましたので、どうする事もできずに都に残っておりました。今日、大路で三位中将殿をお見かけしましたが、お気の毒でまともに見る事もできませんでした。もし差支えがないようでしたら、お許しをいただいて、三位中将殿にもう一度お会いして、昔語りでもして、お慰めできればと思っております。本格的な武士という訳ではございませんので、戦のお供をする事もできません。ただ朝夕に、ご機嫌伺いのために訪問したいだけでございます。それでもなお気がかりに思われるのでしたら、腰の刀をお預かりになった上で、どうにかお許しいただけないでしょうか」土肥次郎は情けのある男だったので、「あなた一人だけならば、何の不都合があるでしょうか。だが念のために」と、腰の刀だけは預かる事にした。知時は非常に喜んで、重衡卿のもとへと急いだ。重衡卿は深く考え込んでいるようで、すっかりやつれている。その姿を見て、知時は涙をこらえられなかった。知時を見た重衡卿も、夢を見ているような気持ちで、何も言う事ができず、ただ泣くばかりだった。しばらくして、昔の事や今の事をあれこれ話し合って後、重衡卿が「そういえば、お前を通して言葉を交わした人は、いまも内裏にいると聞くが」と言うと、知時は「そのように聞いております」と答えた。「西国へ向う時、手紙もやらず、言付けすらもしなかった事で、現世だけではなく来世までもと言い交わした約束はすべて嘘だったのかと思うだろう事が恥ずかしい。手紙をやろうと思うのだ。訪ねてくれるだろうか」「お手紙を持って、訪ねましょう」と知時が言うので、重衡卿は非常に喜んだ。手紙はすぐに書かれた。これを見て、警護に当たっている武士たちは「どのような手紙でしょうか。検閲させなければ、ここから出す訳にはいきません」と言った。重衡卿が「見せよ」というので、知時は手紙を見せた。「差し支えないでしょう」と、手紙は返された。知時はこれを持って内裏へ行ったが、昼は人目が多いので、近くの小屋に入って日が暮れるのを待った。女房の部屋の裏口の辺りにたたずんで耳を澄ますと、その人の声と思われる声が「たくさんいる人の中で、よりによって三位中将だけが生け捕りにされて、大路を引き回されたのです。人は皆、奈良の寺を焼いた罪の報いだと言い合っています。中将もそう言っていました。『私の意向で焼いた訳ではないが、暴走した配下の者たち各々が火を手に、多くの堂塔を焼き払った。葉末の露が集まって、木の幹を流れる雫となるように、これは大将である私一人の罪になるだろう』と言ったのです。本当にそうなのだと思います」と訴えて、さめざめと泣いていた。この女房の方でも同じように重衡卿を思っていた事を知って、知時は不憫に思い、「ごめんください」と声を掛けた。「どちら様ですか」と尋ねられたので、「三位中将殿からのお手紙でございます」と言うと、普段は恥ずかしがって人目を避けていた女房だったが、余りに思いが募っていたからだろうか、「どこですか、どこに」と走り出てきて、自分の手で手紙を受け取った。開いて見てみると、西国で捕らえられた時の様子、今日明日とも分らない命の事などが詳細に書かれてあり、文末には一首の歌があった。
   涙河うき名を流す身なりともいま一だびもあふせともがな*9
これを見て、女房は何も言う事ができず、手紙を懐にしまって、ただ泣くばかりだった。しばらくして、いつまでもそうしてはいられないので、返事を書く事にした。胸がふさがるような思いで、二年を過ごした心中を書いて、歌を添えた。
   君ゆゑにわれもうき名を流すともそこのみくづとともに成なむ*10
 女房の返事を持って、知時は再び重衡卿のもとを訪れた。警護の武士たちがまた、「検閲させてください」と言うので、見せた。「差し支えない」という事で、許可された。返事を読んで、重衡卿は益々思いが募ったのだろう、土肥次郎に「長年連れ添ってきた女房に、もう一度、会って言いたい事があるのだが、どうしたものでしょう」と言ったところ、土肥は情けのある男だったので、「女房などに会うという事であれば、少しも差し支えない」と、これを許した。重衡卿は非常に喜んで、人から牛車を借りると迎えにやった。女房は取るものも取らずに車に乗ってやって来た。ぬれ縁に車を寄せて、着いた事を伝えると、重衡卿が迎えに出て来た。重衡卿は「武士たちが見ているので、お降りにならないように」と言うと、車の後ろの簾を肩に掛けるようにして上半身だけを中に入れた。手を握り合い、顔に顔を押し当てると、二人は少しの間、何も言わずにただ泣いていた。しばらくして重衡卿が話し始めた。「西国へ向う時、もう一度お会いしたかったのですが、世間が一様に騒然としていたので、手紙を送る方法もないまま、都を離れたのです。その後は何とかして手紙を渡し、お返事をいただきたかったのですが、思い通りにならないのが旅の常、明けても暮れても行われる戦に暇がなく、虚しいままに年月を送ってきました。今、人目も恥じるような身になったのは、再び会えるためたったのです」そう言うと、重衡卿は袖を顔に押し当てて、うつ伏してしまった。互いの心の内を思うと気の毒で仕方がない。そうしているうちに夜中になったので、「この頃は大路も物騒ですから、急いでください」と、女房を帰した。車が動き出そうとすると、重衡卿は涙をこらえて、女房の袖をつかんだまま歌を詠んだ。
   逢ことも露の命ももろともにこよひばかりやかぎりなるらむ*11
女房は涙をこらえながら返した。
   かぎりとて立わかるれば露の身の君よりさきにきえぬべきかな*12
 女房は内裏へ向った。その後は、警護の武士たちが許さなかったので、どうにもならず、時々、手紙だけのやり取りをした。この女房というのは、民部卿入道・親範*13の娘である。美しく、情け深い人であった。よって、重衡卿が奈良へ連れて行かれ切られたと聞くと、すぐに髪を下ろし、真っ黒な法衣を身にまとって、重衡卿の後世での冥福を祈ったというから気の毒な事である。

*1:だいりにょうぼう

*2:鎧に付属する小手・脛当・脇楯

*3:代々平家に仕えた一族の者で、重衡の烏帽子子とも

*4:大納言・藤原邦綱の娘で、輔子

*5:夫婦の縁は現世だけで終ってしまうものではない

*6:当時、夫婦の縁は二世に渡るとされた

*7:木工寮の三等官と馬寮の三等官を兼ねた役

*8:鳥羽天皇の第二皇女

*9:涙に暮れるほど悪評を世間に流す身となった私ですが、もう一度あなたにお会いしたいものです

*10:あなたのために私も悪評を世間に流す事になっても構いません、共に海に身を沈めて深い海の底の水屑となりましょう

*11:あなたに会う事も、露のようにはかない私の命も、どちらも今夜限りとなるでしょう

*12:今夜限りと思ってお別れするなど、露のようにはかない私の身ではとても耐える事ができずに、あなたより先に消えてしまうに違いありません

*13:しんぱん