徒然草を読む180

第二百四十一段

 満月の丸さというのは、少しの間もとどまる事がなく、すぐに欠けてしまう。心を留めない人には、一晩のうちにそこまで変ってしまったようにも見えないであろう。同じように、とどまっている間もなく重くなっていき、もはや死期が近付いているというのが病である。そうであるのに、いまだ病が重くならず、死に至るという事がない間は、この世が常住で平穏無事であるという考えに慣れてしまい、生きているうちに多くの事を成し遂げた後、落ち着いて仏道修行をしようなどと思っているが、そのうち病により死に臨む時になっても、願いは一つも成し遂げられていない。もう何を言ってもどうしようもなく、長い年月の怠りを後悔して、もしこの病から立ち直って命を全うする事ができたなら、夜も昼もなく、この事もあの事も、怠らずに成し遂げようと願いを起こすのだろうが、すぐに病は重くなり、我を失い取り乱したままで死んでしまうのである。世間にいるのは、この類の人ばかりであろう。この事をまず、人々は心に留め置くべきである。
 願いを成し遂げて後、時間があったら仏道修行をしようと思っているならば、願いが尽きる事はないだろう。幻のような生の中で、一体何を成そうというのか。願いとはすべて、正しくない想念なのだ。願いが心に浮かんだならば、妄心が心を迷わせ乱すのだと知って、一つとして成し遂げてはならない。即座にすべての願いを投げ捨てて仏道修行に専心するならば、何の邪魔も、無駄な行為もなく、心身は長く静かでいられるだろう。