徒然草を読む178

ACORN2007-10-30

第二百三十八段

 貴人の随身を務める近友*1が自慢話として、七箇条を書き留めた事がある。皆、馬術に関する事で、たいしたことのない話ばかりである。その例にならって、自慢する事が七つある。
 一、人をたくさん連れて花見をしていた際、最勝光院*2の辺りで、男が馬を走らせているのを見て、「もう一度、馬を走らせたなら、馬は倒れて、乗っている人は落ちるでしょう。しばらくご覧ください」と言って立ち止まっていると、また、その馬は走り出した。馬を止める場所で、馬が倒れ、乗っていた人は泥土の中に転がり落ちた。その言葉が間違っていなかった事に、人々は皆感心した。
 一、現在の天皇がまだ東宮でいらっしゃった頃、万里小路殿*3が御所となり、堀川大納言*4殿が御所内の控え室へ用があって参った際、論語の四・五・六の巻を広げられて、「たった今、東宮におかれては、『紫の、朱奪うことを悪む*5』という文をご覧になりたいと、御本をご覧になったのですが、お見つけになる事ができませんでした。『もっとよく探し出しなさい』との命で、探しているのです」とおっしゃるので、「九の巻のどこそこの辺りにございます」と申したならば、「何と嬉しい」と、それを持って東宮のもとへ参った。これ位の事は、子供でも知っている当たり前の事であるが、昔の人というのは少しの事でもひどく自慢したのである。後鳥羽院に、御歌について、「袖と袂とを、一首の中に詠み込んでは悪かろう」と、尋ねられた際、「『秋の野の草の袂か花薄 穂に出でて招く袖と見ゆらん*6』とございますので、何の差支えがございましょう」と答えられた事も、藤原定家卿は「時に際して、本歌を覚えていた。歌道の神のご加護であり、幸運な事だ」などと、大げさに記し残された。九条太政大臣藤原伊通*7公も、官位・恩賞を請う上申書に、特別な事ではない項目までも書き載せて、自慢されていた。
 一、常在光院*8の釣鐘の銘は、菅原在兼*9の草稿である。藤原行房*10朝臣が清書をし、鋳型に取ろうとして、奉行の入道が、その草稿を取り出して見せてくださった中に、「花の外に夕を送れば、声百里に聞こゆ*11」という句があった。「他の句はすべて陽・唐の韻で終わっているようなのだが、ここだけは韻が違っているようだ」と申すと、「お見せして本当によかった。私の大手柄です」と、筆者へ伝えたところ、「誤りでございます。数行*12と直さなければならない」との返事だった。数行もどうであろうか。もしかしたら数歩の意味なのだろうか。よく分からない。
 数行については未だによく分からない。「数」とは四か五である。鐘音が四歩か五歩か聞こえるというのは、どれ程もない距離である。だがこの句においては、鐘音が遠くまで聞こえるというのが本当の意味だ。
 一、人をたくさん伴って、三塔巡礼*13を行った際、横川の常行三昧院*14の中に、竜華院*15と書かれた古い額があった。「佐理*16か行成*17か分からないままで、未だに解決していないと伝えられております」と、下級の僧が仰々しく言ったのを、「行成ならば、裏書があるであろう。佐理ならば、裏書はないはずだ」と私が言ったので、塵が積もり、虫の巣で汚らしくなった裏を、よく掃いて見てみると、行成位署・名字・年号がはっきりと見えたので、人々は皆感動した。
 一、那蘭陀寺*18にて、道眼*19聖が説法を行った際、八災*20を忘れて、「あなた方は覚えていますか」と言ったのだが、弟子たちは誰も覚えていなかったのを、仕切りを隔てた場所から、「これこれでしょうか」と言ったところ、ひどく感心された。
 一、賢助*21僧正に伴って、真言院の加持香水*22を見に行った際、まだ終わらないうちに、僧正は帰ろうとなされたが、伴ってきた僧都の姿が外陣にもなかった。法師たちに探させると、「同じようなすがたの僧が多くて、とても探し出せません」と言って、ずい分時間が経ってから戻って来たので、「ああ困った事だ。あなたが探していらっしゃい」と言われ、僧正のいらした儀式の席に引き返し、すぐに僧都を連れて帰ってきた。
 一、二月十五日*23、月の明るい夜も更けた頃、千本釈迦堂*24に参詣し、後ろから入って、独り顔を深く隠して涅槃会の講釈を伺っていると、容姿に優れ、姿・匂いも人より勝っている女が、人々の間を分け入ってきて、私の横に座ると膝に寄り掛かってきた。匂いなどが移っては具合が悪いと思い、身体をよけると、やはり同じように身を寄せてきたので、その場を立ってしまった。その後、ある御所に関係のある方に長い間仕えた女房が、何という事もない話のついでに、「ひどく無粋な方でいらっしゃったと、お見下げした事がございました。つれないとお恨み申し上げる人がいるのです」とだけ話された。この事について後に聞くところによると、あの涅槃会の夜、仕切りを隔てた場所から、ある方が私を見つけられて、そばに仕える女房に化粧をさせて、「うまくいったなら、言葉など掛けてみるといい。その時の様子を戻ってきて申し上げよ。面白かろう」と、計略されたという事だ。

*1:ちかとも

*2:さいしょうこういん:1173年、建春門院の御願により建立され、1226年に焼失

*3:までのこうじどの

*4:源具親(ともちか)

*5:「むらさきの、あけうばうことをにくむ」周では正色である朱色を重んじたのに、後に天下一般が中間色である紫色を尊ぶようになったのが憎い

*6:花薄は、秋の野の草を着物とすると、その袂なのだろうから、穂が出ると恋人を招く袖のように見えるだろう:「古今集」巻四・在原棟梁(むねやな)

*7:これみち

*8:じょうざいこういん

*9:ありかね

*10:ゆきふさ:能書の家系である勘解由小路家に生まれた

*11:「花外送夕、声聞百里」花の外まで鐘が遠ざかっていくのを送り、夜となる事を告げると、その鐘の音は百里遠くまで響いて聞こえる

*12:すこう:たくさん

*13:比叡山延暦寺の東塔・西塔・横川を礼拝する事

*14:じょうぎょうざんまいいん

*15:りょうげいん

*16:すけまさ:藤原佐理平安時代の能書家で、三蹟の一人

*17:こうぜい、ゆきなり:(藤原行成三蹟の一人

*18:ならんだじ

*19:どうげん

*20:はっさい:仏道修行を妨げる憂・喜・苦・楽・尋・伺・出息・入息の八つの患い

*21:けんじょ

*22:かじこうずい:密教において、諸種の香を混ぜた浄水を身体に注いで浄化する行法

*23:釈尊入滅の日、陰暦では満月に当たる

*24:せんぼんしゃかどう:現京都市上京区にある大報恩寺