徒然草を読む139

野の花

第百七十一段

 貝覆い*1をする場合、自分の前にある貝を差し置いて余所を見渡し、他人の袖の陰、膝の下にまで目を配るような人は、その間に、自分の前にある貝を他の人に覆われてしまう。上手な人は、余所まで無理に取ろうとはせずに、自分に近い貝ばかりを覆っているように見えるが、多く取る。碁盤の隅に石を置いて弾き、向かいの隅に置いてある石に当てようとする時は、狙わず、自分の手元の聖目*2をよく見てまっすぐに弾けば、必ず向かいの石に当たる。
 何においても同じで、外にばかり目を向けていてはならない。ただ、自分の一番身近な所を正しくするべきである。清献公*3の言葉に、「今はただ、よい行いを実践して、先の事を尋ねてはならない」とある。世の平和を保とうとする道も、同じではないだろうか。内において慎まず、軽々しく、気ままで、だらしがなかったなら、遠い国は必ず背き、その時になって初めて、対策を探し求める事になる。「自ら冷たい風に当たり、湿気た所で寝て、病になってからその治癒を神霊に祈るというのは、愚かな人のする事である」と医書に書かれている通りだ。目の前にいる人の愁いを止め、目の前の人に恵みを施すというように、世を治める道を正しく行うならば、その影響は遠くまで伝わるのだという事を皆が知らない。禹*4三苗*5を征伐したが、大規模な軍隊を帰らせて国内に徳を施すには及ばない事であった。

*1:かいおおい:ハマグリの貝殻を両片に分け、地貝(右貝)に出貝(左貝)を合わせて競う遊び

*2:せいもく:碁盤に印してある九つの黒点

*3:せいけんこう:宋の仁宗・英宗・神宗の三代に仕えた名臣

*4:う:中国古代の夏の始祖とされる聖帝

*5:さんびょう:苗族ともいい、現在の湖南・湖北地方に根拠地を置いた異民族で、漢族の支配に反抗を繰り返した