徒然草を読む102

川

百二十五段

 先立たれた人の四十九日の仏事に、ある高徳の僧をお招きしたところ、説法が素晴らしくて、皆が涙を流した。僧が帰って後、聴聞した人々が、「いつもよりも、殊に今日は尊く感じられました」と感動し合っていると、ある者が、「何といいましても、あれほど唐の犬に似ていますからね」と言ったので、感動も醒めてしまい、馬鹿馬鹿しい気持ちになった。そのような、立派な僧の誉め方があるだろうか。
 また、「人に酒を勧める時は、自身がまず飲むべきで、人に強制しようとするのは、両刃の刀で人を切ろうとするようなものだ。両側に刃がついているものであるから、持ち上げる時、まず自身の頭を切る事になるので、人を切る事はない。自身がまず酔って倒れたならば、人にはよもや勧めまい」とも言った。実際に両刃の刀で切ってみたのだろうか。何とも滑稽である。

百二十六段

 「ばくち打ちは、負けが込んでしまって、残りすべてを打とうとする相手には、打ってはならない。立ち直り、続けて勝つ事が可能な時が相手にやって来る事を知っていなければならない。その時を知るばくち打ちを、よいばくち打ちと言うのだ」と、ある者が言っていた。

百二十七段

 改めても益のない事は、改めない方がいい。