徒然草を読む92

第百十二段

 明日にも遠い国へ旅立つはずだと聞いている人に、心静かにいられなくなるような事を、話しかけたりするだろうか。にわかに起こった大事件を必死に処理する人や、常に嘆き悲しむような事がある人というのは、それ以外の事を聞き入れる事ができず、他人の不幸・喜びを見舞う事もできない。だからといって、どうして見舞わないのかと恨む人もいない。よって、年もだんだんと盛りを過ぎ、病にも苦しみ、ましてや遁世した人というのは、これと同じくあるべきだ。
 この世の人間の儀式は、どれを取っても避け難いというものはない。世間の慣習を無視する訳にはいかないと、これらに必ず従うのならば、願いは多くなり、身は苦しくなる。心には暇がなくなり、一生は、些細な雑事に振り回されたまま、空しく過ぎてしまうだろう。日は暮れ、道は遠い。我が生は既につまずいている*1。諸縁を捨て去るべき時だ。信義をも守ってはならない。礼儀をも思ってはならない。この心を理解できない人は、狂気だと言いたければ言え。正気でない、情けがないと思いたければ思え。非難されても苦しくなどない。誉められても聞き入れはしない。

*1:「日暮れて途遠し。吾が生既に蹉だたり」白楽天作として、いくつかの書物に引用されている詩の一部