徒然草を読む65

第八十段

 人はそれぞれが、自身に縁遠い事ほど好むものである。僧は武道に励み、東国の武士は弓の引き方を知らずに、仏法を心得ている様子を見せ、連歌を作り、管弦をたしなむ事に精を出す。よって、なおざりにしている本来の道より、更に、他人に侮られる事になるだろう。
 僧だけではなく、公卿・殿上人・上層の人々まで、一様に、武道を好む人というのは多い。百度戦って百度とも勝ったとしても、武勇の名を世間に定めるというのは難しいものだ。なぜなら、運に恵まれて敵を倒した時、その人を勇者だと言う人はいないだろう。武器が底を尽き、矢がなくなっても、最後まで敵に降参する事なく、落ち着いて死に赴いて後、初めて勇者だという名声を世の中に現す事となるのが道理なのである。生きているうちは、武芸を誇るべきではない。それは、人間から遠く、獣に近い振る舞いであり、武士の家柄の者でなければ、好んで励んでも無益な事なのである。